服部嵐雪とは?

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はっとりらんせつ 【服部嵐雪】 ○

1654~1707江戸前中期俳人別号を嵐亭治助・雪中庵など。芭蕉古参高弟俳風温雅滋味がある。編著若水」「其帒(そのふくろ)」など。

服部嵐雪

読み方はっとり らんせつ

江戸中期俳人淡路生。雪門の祖。別号雪中庵・玄峰堂・不白軒・嵐亭。松尾芭蕉高弟著書に『俳諧杜撰集』『若水』がある。宝永4年(1707)歿、54才。

服部嵐雪

承応3(1654)~宝永4年(1707.10.13))

生年月日不詳。下級武士服部太夫高治の長男として江戸湯島生まれる。 新左衛門下級武士として一時は禄を食んだが貞亨3年仕官の道を諦め俳諧師転身。貞亨4年宗匠として立。若いころは相当な不良青年悪所通い日常茶飯事あったようである。 蕉門入門古く嵐雪21歳頃、蕉門では最古参一人芭蕉は、嵐雪才能を高く評価元禄5年3月3日桃の節句に「草庵桃桜あり。門人其角嵐雪あり」と称え、「両の手に桃と桜や草の餅」と詠んだりした程であった。しかし、それより以前から師弟間には軋み発生していたらしく、芭蕉奥州行脚にも嵐雪送別吟を贈っていないなど風波激しかったようである。 元禄7年10月22日嵐雪江戸にあってはじめて師の訃報を聞いた。その日のうちに一門参集して芭蕉追悼句会を開いたばかりでなく、隣と一緒に膳所義仲寺に向かった。義仲寺嵐雪が詠んだ句は、「この下にかくねむるらん雪仏」であった。いずれ才能ある人々師弟関係であったために、暗闘角逐もあったのだが、相互に強い信頼関係もまたあったのである

嵐雪の代表作


服部嵐雪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/15 14:34 UTC 版)

服部 嵐雪(はっとり らんせつ、承応3年(1654年) - 宝永4年10月13日1707年11月6日))は、江戸時代前期の俳諧師。幼名は久馬之助または久米之助、通称は孫之丞、彦兵衛など。別号は嵐亭治助、雪中庵、不白軒、寒蓼斎、寒蓼庵、玄峯堂、黄落庵など。松尾芭蕉の高弟。雪門の祖。


  1. ^ 『芭蕉講座』172-173頁
  2. ^ a b 『穎原退蔵著作集』51-52頁
  3. ^ 『蕉門十哲』30-32頁
  4. ^ a b 『穎原退蔵著作集』52頁
  5. ^ 『芭蕉講座』173頁
  6. ^ a b 『蕉門十哲』32頁
  7. ^ 『芭蕉講座』173頁
  8. ^ 『芭蕉講座』173-174頁
  9. ^ 『芭蕉講座』174-175頁
  10. ^ 『穎原退蔵著作集』53-54頁
  11. ^ 『芭蕉講座』177-180頁
  12. ^ 『芭蕉講座』182-183頁
  13. ^ 『穎原退蔵著作集』61頁
  14. ^ 『芭蕉講座』172頁
  15. ^ 『芭蕉講座』182,184頁
  16. ^ 『芭蕉講座』187頁
  17. ^ 『読史備要』1099-1100頁


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