服部崎市とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 服部崎市の意味・解説 

服部崎市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 14:47 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

服部 崎市(はっとり さきいち、1899年明治32年)5月6日[1][2] - 1947年昭和22年)6月2日[3])は、大正から昭和前期の実業家政治家衆議院議員

経歴

愛知県[3]名古屋市[4][5]で、米穀商・服部藤吉の六男として生まれる[1]。その後、家業を継承した[1][3]

愛知県米穀商業組合連合会顧問、全国米穀商組合連合会幹事、同副理事長、食料国防団常任理事、中央食糧営団理事・企画局長などを務めた[1][3]。その他、愛知水泳協会長、愛知県体育協会理事、名古屋体育協会理事なども務め、愛知県体育界にも貢献した[1][3][5]

政界では、名古屋市会議員、同参事会員、愛知県会議員、同副議長となる[1][3][4][5]。1936年(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙で愛知県第1区から立憲民政党公認で出馬して初当選[3]。1937年(昭和12年)4月の第20回総選挙で再選された[3]。戦後、1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙愛知県第1区から民主党公認で出馬して当選したが[3][6]、在任中の同年6月に死去[7]。衆議院議員を通算3期務めた[3]

脚注

  1. ^ a b c d e f 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』愛知129頁。
  2. ^ 衆議院『第六十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、14頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』509頁。
  4. ^ a b 『粛正選挙代議士名鑑』114頁。
  5. ^ a b c 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』45頁。
  6. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』309頁。
  7. ^ 『官報』第6137号、昭和22年7月1日。

参考文献

  • 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
  • 『粛正選挙代議士名鑑』選挙粛正中央会編纂部、1936年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  服部崎市のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「服部崎市」の関連用語

服部崎市のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



服部崎市のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの服部崎市 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS