横井太郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 横井太郎の意味・解説 

横井太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/24 18:33 UTC 版)

横井 太郎(よこい たろう、1899年明治32年)6月17日[1] - 1981年昭和56年)10月10日[1][2][3])は、日本実業家政治家衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)。

経歴

愛知県[3]海部郡[1][2]出身。1921年(大正10年)[注 1]農林省水産講習所漁撈科を卒業した[2][4]。名古屋毎日新聞政治部長、享栄商業学校講師、名古屋魚 (株) 取締役社長、愛知県翼賛壮年団総務などを務めた[3][4]。また、1933年(昭和8年)名古屋市会議員、1939年(昭和14年)愛知県会議員にそれぞれ選出された[1][2][4]

1955年(昭和30年)2月の第27回衆議院議員総選挙愛知県第1区から日本民主党所属で出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた[1][2][4]。また、1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙愛知地方区から選出された草葉隆圓の死去に伴い、1966年(昭和41年)11月に実施された補欠選挙自由民主党所属で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した[1][3][2]。この間、自由民主党幹事、同党全国組織委員会商工部長、同党中小企業対策特別委員、同党政務調査会文教副部長、同党愛知県連組織委員長など務めた[3]。1974年(昭和49年)秋の叙勲で勲三等瑞宝章受章[5]

その他、名古屋冷蔵取締役、朝日土地取締役社長、名古屋水産物卸売協会長、中央卸売市場荷受十社会顧問、同荷受協会会長、愛知県災害共済協同組合理事長などを務めた[3][4]

1981年10月、心筋梗塞により名古屋市昭和区名古屋第二赤十字病院で死去した[2]。死没日をもって正五位に叙される[6]

脚注

注釈

  1. ^ 『新訂 政治家人名事典』666頁では大正9年。

出典

  1. ^ a b c d e f 『新訂 政治家人名事典』666頁。
  2. ^ a b c d e f g 『現代物故者事典 1980〜1982』346頁。
  3. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』441頁。
  4. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』699-700頁。
  5. ^ 『官報』第14357号7頁 昭和49年11月7日号
  6. ^ 『官報』第16431号15-16頁 昭和56年11月2日号

参考文献

  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『現代物故者事典 1980〜1982』日外アソシエーツ、1983年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「横井太郎」の関連用語

横井太郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



横井太郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの横井太郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS