長谷場純孝とは? わかりやすく解説

長谷場純孝 はせば すみたか

長谷場純孝の肖像 その1

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長谷場純孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/14 14:37 UTC 版)

長谷場 純孝
はせば すみたか
生年月日 1854年4月27日
嘉永7 / 安政元年4月1日
出生地 薩摩国日置郡串木野郷
没年月日 (1914-03-15) 1914年3月15日(59歳没)
死没地 日本 東京府
出身校 造士館
称号 勲三等瑞宝章
親族 婿養子・長谷場敦
第14・17代 衆議院議長
在任期間 1908年12月23日 - 1911年9月6日
1914年3月7日 - 1914年3月15日
天皇 明治天皇
大正天皇
第22代 文部大臣
内閣 第2次西園寺内閣
在任期間 1911年8月30日 - 1912年11月9日
選挙区 (鹿児島県第3区→)
鹿児島県郡部
当選回数 11回
在任期間 1890年 - 1914年3月15日
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長谷場 純孝(はせば すみたか、嘉永7 / 安政元年4月1日[1]1854年4月27日) - 大正3年(1914年3月15日)は、日本の政治家衆議院議員(11期)、衆議院議長(第14代・第17代)、文部大臣(第22代)を歴任。

経歴

薩摩国串木野郷(後に鹿児島県日置郡串木野村、串木野町、串木野市を経ていちき串木野市上名麓集落(現いちき串木野市麓)に生まれる[2]。父は鹿児島藩の郷士。1869年薩摩藩校造士館の学寮に入り学ぶ[2]。1871年に東京に上京し西郷隆盛川路利良の知遇を受ける[2]。1872年、警視庁の羅卒(巡査)となり、翌年権少警部、少警部に進む[2]。1874依願退官し鹿児島県に帰り、鹿児島県教授に任じられる[2]。1875年には桐野利秋に進言して私学校内に寄宿舎を設置し自らも入舎[2]。また、鹿児島県監事に任じられる[2]。1877年の西南戦争には西郷隆盛方として参加し、懲役囚(国事犯として懲役3年)となる。1879年「癈疾ニ付放免」され出獄[3]

出獄後より国会開設運動に携わり、1885年から1887年まで鹿児島県会議員、1887年から1890年まで鹿児島の4郡の郡長となる[4]。1890年の第1回衆議院議員総選挙で鹿児島県から当選し、以降11回連続当選。のち政友会設立に関わる。1908年から1911年にかけて1度目の衆議院議長を務めた。また、1911年の第2次西園寺内閣文部大臣を務めるが、翌年病にかかり辞任。1914年、2度目の衆議院議長に就任し、シーメンス事件での混乱の中、議会の運営に当たるが、就任わずか9日で動脈瘤破裂のため急死する[5]。衆議院議員や串木野町長を務めた長谷場敦は長女の夫で養嗣子[2]

栄典

位階
勲章

脚注

  1. ^ 安政への改元は嘉永7年11月であるが、凶事を避ける災異改元として当該年の元日に遡って元年とみなされたため、嘉永7年=安政元年となる。
  2. ^ a b c d e f g h 「長谷場純孝先生年譜」富宿三善 編『長谷場純孝先生伝』長谷場純孝先生顕彰会、1961年、431-435頁。
  3. ^ 国立公文書館「石川県国事犯長谷場純孝外一名癈疾ニ付放免」明治12年10月13日。
  4. ^ 朝日日本歴史人物事典
  5. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)238頁
  6. ^ 『官報』第8257号「叙任及辞令」1910年12月28日。
  7. ^ 『官報』第8462号「叙任及辞令」1911年9月4日。
  8. ^ a b 『官報』第488号「叙任及辞令」1914年3月17日。
  9. ^ 『官報』第124号「叙任及辞令」1912年12月27日。

関連項目


議会
先代
杉田定一
大岡育造
衆議院議長
第14代:1908年 - 1911年
第17代:1914年
次代
大岡育造
奥繁三郎
公職
先代
小松原英太郎
文部大臣
第22代:1911年 - 1912年
次代
牧野伸顕(臨時代理)



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