坪田十郎とは? わかりやすく解説

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坪田十郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/23 08:53 UTC 版)

坪田十郎

坪田 十郎(つぼた じゅうろう、1867年9月12日慶応3年8月15日[1][2] - 1925年(大正14年)9月17日)は、日本の政治家実業家。衆議院議員[3]。神戸土地、神戸鉄工各社長[3]。族籍は兵庫県士族[3][4]

経歴

生い立ち

播磨国飾東郡八代村(のち兵庫県飾磨郡城北村[4]、現・姫路市八代[5][6])生まれ。坪田重吉の長男[3]。先代坪田十郎の養子。

貧家より身を起す[5]高砂警察署巡査となる[5]1892年明治法律学校(現・明治大学)を卒業する[6][7]

実業家として

兵庫県の伊藤長次郎家商業部の取締役となり、神戸市山手通りの開拓に従事した他、徳島瓦斯(現四国ガス)社長、播磨造船所(現IHI)監査役など、多くの企業の経営に参画した。

政治家として

神戸市会議長、兵庫県会議員などを経て、1908年(明治41年)の第10回衆議院議員総選挙で神戸市2区から当選。1917年(大正6年)の第13回衆議院議員総選挙で神戸市2区、1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙では兵庫県1区から当選し、通算3期衆議院議員を務めた。立憲政友会に属した[4]

1925年(大正14年)9月17日死去。

家族

坪田家

家系について『現代兵庫県人物史』によると「坪田十郎は姫路市八代の産、その祖先は天台宗僧侶だったが、ある一派を開宗しようとして幕府の忌諱に触れ同地を追放される。その子は3人いて、長男は同地に止まり、次男は揖西郡伊津村に移る。以来連綿として十郎におよんだが家道は大に衰えていた。十郎は困苦窮乏の中に人となった。」という[5]

脚注

  1. ^ 衆議院事務局『衆議院要覧 下巻 大正六年十一月』、1917年
  2. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、6頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第7版』つ12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月10日閲覧。
  4. ^ a b c 『衆議院要覧 明治41年12月訂正』351 - 352頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月10日閲覧。
  5. ^ a b c d 『現代兵庫県人物史』311 - 315頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月14日閲覧。
  6. ^ a b 『兵庫県代議士候補者人物評』14 - 18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年3月6日閲覧。
  7. ^ 『明治大学一覧 付・卒業生年度別 昭和12年11月』卒業生年度別9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年4月3日閲覧。

参考文献

  • 『衆議院要覧 明治41年12月訂正』衆議院事務局、1897 - 1909年。
  • 田住豊四郎編『兵庫県代議士候補者人物評』県友社、1912年。
  • 『神戸の異彩 人物論』神戸新聞通信社、1920年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 明治大学編『明治大学一覧 付・卒業生年度別 昭和12年11月』明治大学、1937年。
  • 『日本歴史 第 398~403巻』日本歴史社、1981年。



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