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西村丹治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/17 06:19 UTC 版)

西村丹治郎

西村 丹治郎(にしむら たんじろう、慶應2年10月22日1866年11月28日) - 昭和12年(1937年12月20日[1])は、日本の衆議院議員憲政本党立憲国民党革新倶楽部立憲民政党)。

経歴

備中国下道郡秦村(現在の岡山県総社市)の板野家に生まれ、高梁町の西村鶴太郎の養子となった[2]1890年明治23年)、東京専門学校(現在の早稲田大学)政治経済科を卒業した[2]。卒業後は2年にわたって欧米に留学して、政治学経済学を学び[3]、帰国後は新聞記者の職に従事した。

1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、14回の当選を重ねた。その間、第2次若槻内閣農林政務次官を務めた。

栄典

脚注

  1. ^ 『官報』第3296号、昭和12年12月27日
  2. ^ a b 『岡山県吉備郡案内誌』p.21
  3. ^ 『代議士詳覧』p.458
  4. ^ 『官報』第1310号「叙任及辞令」1931年5月15日。

参考文献

  • 『岡山県吉備郡案内誌』吉備郡案内誌編纂会、1926年。 
  • 広幡明男『大正十三年五月当選 代議士詳覧』泰山堂、1924年。 





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