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百瀬渡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/07 01:14 UTC 版)

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百瀬 渡
ももせ わたる
生年月日 1874年2月5日[1]
出生地 筑摩県筑摩郡(のち長野県東筑摩郡[2])神田村(同年10月23日に合併して中山村[1]
没年月日 (1945-12-21) 1945年12月21日(71歳没)[1]
所属政党 立憲民政党
親族 (孫) 山口わか子[3]
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百瀬 渡(ももせ わたる[4]1874年明治7年)2月5日[1] - 1945年昭和20年)12月21日[1][4])は、長野県出身の政治家衆議院議員松本市長

来歴

1888年(明治21年)に松本中学校に入ったが2年後に中退。降旗元太郎のいた信陽日報(後の信濃日報)に記者として入社した。記者を続けながら(後に同社の社長となる[5])、中山村村会議員も務めた[1]。東筑摩郡会議員を経て[2][5]1912年(明治45年)以来、長野県会議員に毎回当選[6]

その後の代議士時代には「原蚕種国営に関する建議」を提出するなどした[7]。翼賛政治体制に反対の立場を取り、院内会派「同交会」に所属したが[8]、1942年(昭和17年)4月30日の翼賛選挙(第21回衆議院議員総選挙)には出馬しなかった(市政=後述に専念するためという説がある[4])。

1940年(昭和15年)から1944年(昭和19年)までは、松本市長を1期務めた[4]。長いひげの風貌で「蒙古王」と呼ばれ、親しまれた[9]

脚注

  1. ^ a b c d e f 46.百瀬渡 軍に立ち向かった“蒙古王” - 市民タイムス 「脚光 歴史を彩った郷土の人々」
  2. ^ a b 現代議士歴伝集 昭和6年1月現在 p.111 - 近代デジタルライブラリー
  3. ^ 2004参院選特集 - 長野日報
  4. ^ a b c d 大政翼賛会に抗した40人 - 自民党源流の代議士たち p.137-139 朝日新聞社(楠精一郎、2006/07、朝日選書 801) ISBN 978-4022599018
  5. ^ a b 人事興信所『人事興信録 第十版 下』モ16、1934年
  6. ^ 人事興信所『人事興信録 第九版』モ15-16、1931年
  7. ^ 農林水産省における蚕糸試験研究の歴史 p.46 - 生物研(農業生物資源研究所
  8. ^ 翼賛政治への参加「不愉快極まる」 鳩山一郎の手紙、松本で - 信濃毎日新聞、2011年8月31日
  9. ^ 「蒙古王」政治家・百瀬渡の足跡後世に 長野、評伝完成 - 朝日新聞デジタル:地域、2012年12月25日00時49分

関連書籍

  • 蒙古王百瀬渡の生涯: 気骨ある文人政治家(2012.11、百瀬渡顕彰会編集委員会)





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