秦村_(岡山県)とは? わかりやすく解説

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秦村 (岡山県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/07 01:09 UTC 版)

はだむら
秦村
廃止日 1954年3月1日
廃止理由 編入合併
秦村都窪郡三須村 → 吉備郡総社町
現在の自治体 総社市
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陽地方
中国・四国地方
都道府県 岡山県
吉備郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,612
国勢調査、1950年)
隣接自治体 池田村、総社町、久代村昭和町
秦村役場
所在地 岡山県吉備郡秦村大字秦
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秦村(はだむら[1])は、岡山県吉備郡にあった。現在の総社市の一部にあたる。

地理

高梁川の中流右岸に位置していた[2]

歴史

  • 1889年(明治22年)6月1日、町村制の施行により、下道郡秦村、福谷村が合併して村制施行し、秦村が発足[1][2]。旧村名を継承した秦、福谷の2大字を編成[2]
  • 1893年(明治26年)大洪水で大きな被害を受けた[2]
  • 1900年(明治33年)4月1日、郡の統合により吉備郡に所属[1][2]
  • 1948年(昭和23年)4月1日、大字福谷の一部を吉備郡下倉村に編入[1][2]
  • 1954年(昭和29年)3月1日、吉備郡総社町に編入され廃止[1][2]。編入後、総社町大字秦・福谷となる[2]

地名の由来

渡来人の秦氏の居留地であったことから[2]

産業

  • 農業[2]
  • 産物:米、麦、大豆、藺草、葉煙草、スイカ、落花生、エンドウ、ソラマメ、トウガラシ[2]

交通

1930年(昭和5年)常盤橋が完成し、西田渡しが廃止となる[2]

教育

  • 1890年(明治23年)橋本に尋常秦小学校開校[2]。1893年(明治26年)秦尋常小学校に改称[2]。同年、大洪水で校舎が流出し、1902年(明治35年)校舎を再建[2]。1931年(昭和6年)福谷尋常小学校が統合され分教場となるが1933年(昭和8年)廃止[2]。1934年(昭和9年)台風で校舎が倒壊し、後に再建され、1947年(昭和22年)秦小学校となる[2]

脚注

  1. ^ a b c d e 『市町村名変遷辞典』624頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『角川日本地名大辞典 33 岡山県』892-893頁。

参考文献

関連項目




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