高梁川
高梁川は、岡山県新見市千屋の花見山にその源を発し、途中西川、熊谷川、小坂部川等支川を合わせながら南流し、高梁市において広島県比婆郡の道後山から発する成羽川(広島県内では東城川と呼ばれています)を合流し、更に南下し、倉敷市酒津において小田川を合わせ倉敷平野を貫流し倉敷市水島において水島灘に注いでいます。流域は広島県北東部と岡山県西部にまたがり、流域面積2,670km2、流路延長111.0kmの河川です。 |
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倉敷市を貫流し水島灘(瀬戸内海)に注ぐ高梁川 |
河川概要 |
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1.高梁川の歴史 |
"高梁川は岡山県西部を貫流する中国地方有数の河川です。 この流域は古くから備中と呼ばれ、政治・経済・文化の面で重要な地域でした。" |
高梁川(たかはしがわ)の流域は古くは備中(びちゅう)と呼ばれ、備前(びぜん)・備中(岡山県)、備後(びんご)(広島県)と合わせ吉備の国として政治・経済・文化の面で重要な地域でした。高梁川の名前は古くは日本書紀のに記されている川島川から川辺川、松山川など、その時代時代に栄えていた町の名前を取って呼ばれていましたが、
高梁川中流の松山は16世紀頃から始まった高瀬舟による舟運によってにぎわいをみせました。高瀬舟の航路は江戸時代の最盛期には上流の新見、成羽川上流の東城、小田川上流の井原のあたりまで整備され、交通運輸の重要な動脈となっていました。成羽川上流で江戸時代から明治時代まで盛んに生産されていたベンガラも高瀬舟を利用し全国に運ばれていきました。 高梁川上流の阿哲(あてつ)郡、成羽川上流の広島県比婆郡、神石郡等の中国山地脊梁(せきりょう)に近い花崗岩地帯は、古くから砂鉄採集の鉄山業が行われていました。山を掘り崩し、流水による鉄穴流(かんななが)しという比重選法によって砂鉄を採集し、精錬所(タタラ)で鉄材となります。鉄穴流しの過程で、下流に風化土を混する濁水と莫大な土砂を流下させることとなり、下流域の河床上昇の一因をなしたと言われています。 中世から明治時代中期までの鉄穴流しと、16世紀から行われ始めた干拓による新田開発によりほぼ現在の倉敷市の平野部が造成されました。 明治25,26年の大洪水を契機として明治43年から大正14年まで行われた内務省による第一期改修によって、それまで倉敷市で東西両派川(はせん)に分かれていた東派川を締切り、西派川に統合する大改修を行いました。その後、廃川(はいせん)となった東派川の廃川地の造成、水島の工業用地土地造成などが行われ現在の高梁川の姿となっています。
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2.地域の中の高梁川 |
"高水敷や広い水面を利用したスポーツやレクリエーションが行われています。 総社市、真備町、清音村には水辺の楽校(みずべのがっこう)が整備されており、子どもたちの遊び場としてだけでなく、住民の方のレクリエーションの場としても利用されています。" |
高梁川の河口部は昭和時代に農業用地として埋め立てられた土地を工業用地として転用した土地が中心となって、岡山県内一の工業集積地である水島工業地帯を形成しています。高梁川はこの水島工業地帯を支える工業用水を供給しているほか、岡山市、倉敷市、総社市をはじめとする4市7町村へ農業用水を供給し、6市13町村へ水道用水を供給するなど、地域の生活、農業、産業の基盤を支えています。
高梁川の河川敷地の利用は活発で、下流部を中心に約63haの高水敷が整備され、公園緑地、運動場、ゴルフ場等に利用されています。 河口部から湛井堰(たたいぜき)に至る河川空間は、広い高水敷や三つの堰の湛水域(たんすいいき)を利用したスポーツやレクリエーションの場として親しまれています。また、酒津(さかつ)公園周辺の水と緑の美しい河川空間は、住民が手軽に自然とふれあえる場であり、沿川の人々の憩いの場となっています。また、総社市、真備町、清音村には子どもたちが自然体験できる場として水辺の楽校(みずべのがっこう)が整備されており、自然あふれる子どもたちの遊び場としてだけでなく、住民の方などのレクリエーションの場としても利用されています。
湛井堰から上流の高梁市周辺までの区間や新見市周辺、小田川下流部から井原市周辺までの区間、成羽川下流部の区間は、峡谷地形の中でわずかに分布する高水敷が運動場や広場等に利用され、各種スポーツや花火大会等の行事が行われており、地域のふれあいの場として親しまれています。 |
3.高梁川の自然環境 |
"高梁川水系の河川水辺の国勢調査によると、植物は678種、魚介類は65種、鳥類は95種、昆虫類は1,056種、哺乳類・両生類・爬虫類は25種が確認されています。" |
高梁川流域の自然環境は、上流域の一部が比婆道後帝釈(ひばどうごたいしゃく)国定公園、備作山地県立自然公園に、中流域の一部は高梁川上流県立自然公園、山野峡県立自然公園に指定され、また、下流域の一部が吉備史跡県立自然公園に指定されており、自然が織りなすすばらしい景観が広がっています。流域では井倉峡(いくらきょう)、阿哲峡(あてつきょう)、豪渓(ごうけい)、天神峡(てんじんきょう)など高梁川水系特有の景勝地が数多く見られ、四季折々に周辺の山々と一体となった美しい自然景観が形成され、自然とのふれあいの場となっています。
高梁川の植生は、上中流ではツルヨシ、オギ、ヤナギ類、下流域ではヨシ、ハマヒルガオなどの群落が、高水敷ではセイタカアワダチソウやオオアレチノギクが育成しています。 魚類は上流域ではアマゴ、タカハヤ、カワムツB型、中流域ではオイカワやカワムツB型、カマツカ、下流域ではオイカワ、ニゴイ、カマツカ、コウライモロコ、汽水域ではマハゼ、ヒイラギ等の汽水(きすい)海水魚が確認されています。また外来種はカダヤシ、ブルーギル、タイリクバラタナゴ、ブラックバスが確認されています。 鳥類は四季を通してサギ類、冬はカモやカモメ類、春秋にはシギ・チドリが見られます。中流部の八幡山(はちまんやま)周辺では山地を生息域とする鳥類が観測されます。 昆虫類は河口部ではハマベエンマムシ、アカウミベハネカクシ、ハマベオオヒメサビキコリ等、オギなどのイネ科草本群落ではハマベアワフキやコバネヒョウタンナガカメムシ等が、ヤナギ類の河畔林ではヤナギグンバイやコムラサキが、開けた草地や耕作地ではトノサマバッタやエンマコオロギが確認されています。 哺乳類はアカネズミ、イタチ類が、ワンドやたまりでヌートリアが確認されています。 高梁川水系の河川水辺の国勢調査によると、植物は678種、魚介類は65種、鳥類は95種、昆虫類は1,056種、哺乳類・両生類・爬虫類は25種が確認されています。
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4.高梁川の主な災害 |
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(注:この情報は2008年2月現在のものです)
高梁川・湛井堰
![]() 湛井十二ヶ郷用水 |
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疏水の概要 | |||||||
■疏水の所在 総社市、倉敷市、岡山市、 受益面積 約5,000ha ■所在地域の概要 岡山県南西部 ■疏水の概要・特徴 十二ヶ郷用水の起源は古く平安時代初期といわれており、備中妹尾郷に所領をもつ平家の有力な家人であった妹尾兼康(せのおかねやす)により大改修が行われ現在のような用水になったと伝えられています。 十二ヶ郷用水は、総社市はもちろん清音村、山手村、岡山市、倉敷市に及び約5千ヘクタールの農地を潤しています。十二ヶ郷用水の名称は、用水が供給される地域が刑部郷(おしかべごう)、真壁郷(まかべごう)、八田部郷(やたべごう)、三輪郷(みわごう)、三須郷(みすごう)、服部郷(はっとりごう)、庄内郷(しょうないごう)、加茂郷(かもごう)、庭瀬郷(にわせごう)、撫川郷(なつかわごう)、庄郷(しょうごう)、妹尾郷(せのおごう)の十二に分かれていたことによるものです。 上原井領用水とは、総社市湛井堰から取水し、総社市秦・上原・富原・下原地区を通り真備町へ流れてくる農業用水です。 辻田から岡田にかけて県道に並行していて、有井雇用促進住宅の南側から箭田地区へ流れています。 |
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東西用水(高梁川・笠井堰掛)
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疏水の概要 | ||||||||
■疏水の所在 岡山県倉敷市 ■所在地域の概要 県下最大の穀倉地域であり、古くから用水地域として開発されてきた高梁川下流三角州地帯に展開している平坦地 ■疏水の概要・特徴 井堰で取水された高梁川の水は、大正13年に完成した取水樋門を通って一旦酒津(さかつ)配水池に貯められ、南北配水樋門から西岸用水、西部用水、南部用水、備前樋用水、倉敷用水、八ヶ郷用水により倉敷市や早島町などの農地へ供給されている。 この樋門は高梁川東西用水組合の努力によって古くから管理されており、現在は周辺整備も行われ水辺空間を最大限活かすよう配慮されている。15連の南配水樋門をはじめ一連の施設は組合や地域に守られながら住民に安らぎを与えている。 |
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高梁川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/08 09:04 UTC 版)
高梁川 | |
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総社市清音付近
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水系 | 一級水系 高梁川 |
種別 | 一級河川 |
延長 | 111 km |
平均流量 | 63.93 m3/s (日羽観測所 2000年) |
流域面積 | 2,670 km2 |
水源 | 花見山(岡山県) |
水源の標高 | 1,188 m |
河口・合流先 | 瀬戸内海水島灘(岡山県) |
流域 | 岡山県・広島県 |
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高梁川(たかはしがわ)は、岡山県西部を流れる一級河川で、高梁川水系の本流である。吉井川、旭川とともに岡山三大河川の一つ。岡山県下で最大の流域面積を誇り、その支流域は広島県にも及ぶ。
概要

鳥取県境の明地峠(標高 755 m )に近い花見山(標高 1,188 m )の東麓(新見市)を源流とし、吉備高原の間を貫流して瀬戸内海水島灘(倉敷市)に注ぐ。
上流部は主に石灰岩質のカルスト台地である阿哲台を貫通し、河川の浸食によって生成された鍾乳洞や渓谷に富む。また、植物分布も日本ではこの地域特有のものも多い。
語源
沿岸の河岸段丘上に発達した山間の町「高梁」に由来すると思われるが、「高梁」の由来には諸説があり、定かではない[1]。
- 古く高梁川(松山川)を「高橋川」と呼んでいたところから、沿岸に「高橋」という地名が出来て、のちに「高梁」に変化したのだというもの。この説だと川の名前が先だが、表記は地名が先である。
- 『高梁市史』によると、高梁の地名は古くは「高橋」と称したが、高橋九郎左衛門が備中守護として来た際、城主の姓と地名が同じであるのは望ましくないという理由で「松山」と改めた。その後明治初年になって伊予松山と混同されたため、元の「高橋」に戻し、さらに「橋」の字に雅字の「梁」を当てて「高梁」とした。
「たかはし」の読みについては、吉備高原の台地の端(松山城のあった地点)あるいは河岸段丘の高く切り立った端のことを指すと思われる。いずれも地名が川名になったと考えられる[1]。
歴史
古代から近代にかけて高瀬舟による水運に利用され、備中国域の経済の大動脈として重要な河川であった[2]。
かつては、河島川(川嶋川)・河邊川(川辺川)・総社川・松山川・板倉川・宮瀬川など時代や地域によって様々な名称で呼ばれた。
古代 〜 中世(井尻野分岐)
古代高梁川は総社平野(吉備平野)へ突入する部位(現在の総社市井尻野湛井あたり)で南と東へ分岐していた。
東流は分岐点からやや南東に流身をとりつつ現在の総社市街・吉備平野を蛇行しながら東方へ流れ、やがて当時の足守川と現在の総社市長良付近で合流し、その後南へ進路を変え、吉備中山西部を北から南へ流走し、岡山市北区撫川・倉敷市上東付近が河口で、吉備穴海に流入していた。この河口付近に備中国の国府津があったとされ、上道遺跡はそれに関連している遺跡だとする説もある。[3]
備中国風土記[注 1]逸文である「宮瀬川」によると、賀陽郡の伊勢御神社(いせのみかみのやしろ)[注 2]の東に河があり、河の西に吉備建日子命宮(きびたけひこのみことのみや)があるので、この河を宮瀬川と称した、とある。 この逸文が宮瀬川(高梁川旧東流)の河道の存在を暗示している。この旧東流の河道は、古代行政区をわける「郡境の河道」であったとされ、河道の北側が賀陽郡、南側が窪屋郡・都宇郡であった。
その後、平安時代末期の妹尾太郎兼康による十二箇郷用水建設により、総社中心部では同用水の基幹用水路・総社東部では前川の一部・岡山市北区高松付近では西方に河道が移動し、現在の足守川の中下流となった。[3]
また総社市井尻野から南に分流した流路(現在の高梁川の流路)は、現在の流路に近い位置を蛇行しながら分岐・合流をしつつ現在の倉敷市真備町川辺あたりで小田川と合流、総社市清音古地あたりが河口だった。この南分流の河道は、当時の下道郡・賀陽郡・窪屋郡の郡境となっていた。度々洪水を起こしたため、河道や分流などが変遷し、それに合わせ郡境も変更されていた。[4]
中世 〜 近世(古地分岐)
前述のように、平安末期に井尻野分岐の東流は姿を変えたが、南流は土砂による堆積作用や戦国時代以降の新田干拓などにより河口は南に移動していった。さらに現在の総社市清音古地で東西に分流し、西流は現在の柳井原貯水池を通り、現在の倉敷市船穂町水江あたりから現高梁川の流路に近い位置を流れた。東流は、現在の総社市清音黒田から倉敷市酒津あたりまでは現在の流路とほぼ同じ位置を流れ、酒津以南はそのまま南へほぼ直進して流れた。なお、西流は又串川、東流は酒津川とも呼ばれた。倉敷代官所が作らせた1705年(宝永2年)、地図では、古地で高梁川が分岐しており、さらに干拓により児島・連島が陸続きとなり、河口部も西流が連島の西側、東流が連島東側と児島西側の間に位置している。また、干拓により造成された、児島北側を東側へ流れ児島湾に流入する分流である吉岡川も描かれている[4][3]。さらに現在の倉敷市中島は旧窪屋郡、同市西阿知町は旧浅口郡であることから、両地区の境界部を酒津川の派川が流れ、この派川が郡境であったとも考えられている。
また、備中松山藩により、現在の倉敷市船穂町船穂東部から玉島港にかけて高瀬通しと呼ばれる運河が造成された。[2]
近世 〜 現代(酒津分岐)

現在の倉敷平野部では、高梁川の洪水に幾度も悩まされたため、度々河川の改修・治水工事が行われた。 特に、1892年(明治25年)7月の台風により氾濫したことが契機となり、1907年(明治40年)からは内務省の直轄工事として[5]旭、東西の分岐点が、古地から現在の倉敷市酒津で東西に分岐するように変更され、東高梁川(東松山川)、西高梁川(西松山川)となった。旧分岐点から新しい西流(西高梁川)までの流路は柳井原貯水池となった[3]。
さらにその後の改修により、酒津分岐の東高梁川は廃川となり、約470ヘクタールの廃川敷には学校や農地、工場が作られた。1925年(大正14年)に明治期から続いた大改修工事は完成。 同年5月20日には若槻内務大臣を迎えて竣工祝賀会が開かれた[6]。 この工事により西高梁川が本流となり、現在に至っている。旧河口部には水島市街地、旧堤防には水島臨海鉄道水島本線や八間川用水などが造成された。[3][2]
2018年に発生した平成30年7月豪雨(西日本豪雨)では流域で氾濫が相次ぎ、支川の小田川などが決壊した倉敷市真備町を中心に甚大な被害をもたらした[7]。このため、かねてより計画されていた高梁川・小田川の合流点を下流側へ付け替える工事を「真備緊急治水対策プロジェクト」のハード面における主要事業として実施[8]。これまでの合流点を堰き止め、小田川の流路を柳井原貯水池を経由し約4.6 km下流で高梁川と合流させるもので、2024年(令和6年)3月に完成した[9]。
水不足の発生
高梁川水系では度々少雨の影響で水不足の恐れがある。特に深刻だった水不足問題は1994年夏頃である。貯水率は0パーセントになり、断水などが相次いだ。9月に台風が接近したために水不足は解消された。その後2002年や2005年にも水不足の心配があったが、こちらは特に深刻ではなかった。
2007年秋頃から少雨の影響で再び渇水の恐れがあり、一時的に取水制限を実施した。同年12月23日の流域4箇所のダム貯水率は46.3%と、平年値を大幅に下回った。2008年も少雨の影響で8月21日の貯水率は4ダムの平均が42.3%を下回った。
流域の自治体
主な支流



市名は流域の自治体。
- 西川 : 新見市
- 小阪部川(小坂部川) : 新見市東部・大佐地区
- 成羽川 : 広島県庄原市東城町、神石郡神石高原町、岡山県高梁市。広島県側では東城川とも呼ばれる。
- 有漢川 : 岡山県高梁市北西部(津川・巨瀬・有漢地区など)
- 増原川 : 高梁市玉川地区
- 影谷川 : 総社市水内地区
- 槙谷川 : 総社市池田地区、加賀郡吉備中央町大和地区
- 新本川 : 総社市新本・山田・久代・秦・神在地区
- 小田川[注 3] : 広島県神石郡神石高原町、福山市加茂町・山野町、岡山県井原市、小田郡矢掛町、倉敷市。井原市芳井町以北では、吉井川(芳井川)、山野川とも呼ばれる。
河川施設(支流域を含む)
- 千屋ダム (新見市)
- 高瀬川ダム (新見市)
- 三室川ダム (新見市)
- 河本ダム (新見市)
- 大佐ダム (新見市)
- 小阪部川ダム (新見市)
- 新成羽川ダム (高梁市)
- 楢井ダム (高梁市)
- 大竹ダム (高梁市)
- 槙谷ダム (総社市)
- 明治ダム (井原市)
- 湛井堰(たたいぜき) (総社市、湛井十二箇郷組合参照)
並行する交通


鉄道
道路
主な橋梁
橋梁延長100メートル以上の国道・県道を中心に上流側から記載する。出典:2015年度(平成27年度)岡山県統計年報
名称 | 路線 | 市 | 延長 (m) | 備考 |
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別所亀滝大橋 | 国道180号 | 新見市 | 115 | |
高梁川橋 | 中国自動車道 | |||
正田橋 | 岡山県道33号新見川上線 | 100 | ||
美郷大橋 | 国道180号 | 130 | ||
川合橋 | 岡山県道309号巨瀬高倉線 | 116 | 上流側の旧橋梁は新見市道として残る。 | |
井倉大橋 | 国道180号 | 164 | ||
広石橋 | 国道180号 | 120 | ||
秋町橋 | 岡山県道309号巨瀬高倉線 | 高梁市 | 106 | |
鳴戸大橋 | 国道180号 | 146 | ||
高梁大橋 | 岡山県道302号宇治鉄砲町線 | 133 | ||
落合橋 | 国道313号 | 142 | ||
玉川橋 | 岡山県道293号宇戸谷高梁線 | 201 | ||
水内橋 | 岡山県道166号美袋井原線 | 総社市 | 185 | |
下倉橋 | 岡山県道54号倉敷美袋線 | 272 | ||
豪渓秦橋 | 岡山県道278号宍粟真備線 | 349 | ||
総社大橋 | 岡山県道80号上高末総社線 | 473 | ||
新総社大橋 | 総社市道 | 660 | 2016年(平成28年)開通[11]。 | |
川辺橋 | 国道486号 | 総社市・倉敷市 | 459 | 下流側の旧橋梁(歩行者・自転車専用)は2023年5月に橋脚が傾いたため通行止め[12]。 復旧時期は未定で、暫定的に現橋梁に歩行者・自転車通行帯を設けている[13]。 |
高梁川橋 | 山陽自動車道 | 倉敷市 | ||
倉敷大橋 | 倉敷市道 | 512.2 | 倉敷市による事業では高梁川初の橋梁。 2016年(平成28年)1月24日開通[14]。 この開通により渡し船「水江の渡し」が同年3月31日をもって廃止[15]。 |
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船穂橋 | 岡山県道60号倉敷笠岡線 | 552 | ||
高梁川大橋 | 国道2号(玉島バイパス) | 630 | ||
霞橋 | 国道429号 | 643 | 上流側の旧橋梁は歩行者・二輪車専用として残る。 | |
水島大橋 | 岡山県道398号水島港唐船線 (水玉ブリッジライン) |
1,198 | ||
倉敷みなと大橋 | 水島港臨港道路 | 2,564 | 2017年(平成29年)3月25日開通[16]。 |
流域の観光地
- 帝釈峡 : 成羽川(東城川)支流の帝釈川。広島県神石郡神石高原町/庄原市東城 上帝釈峡の雄橋は国の天然記念物で世界三大天然橋のひとつ。
- 阿哲峡 : 西川沿岸。新見市
- 羅生門 : 新見市 阿哲台地上の古い鍾乳洞の痕跡で国の天然記念物。
- 井倉峡・井倉洞 : 新見市 岡山県指定天然記念物
- 磐窟渓・磐窟洞 : 高梁市 渓谷美と国の名勝である希少な鍾乳洞。
- 吉備高原 : 高梁市
- 豪渓 : 支流の槙谷川。総社市槙谷
- 山野峡(猿鳴峡):福山市 支流の小田川に広がる渓谷 広島県指定天然記念物
脚注
注釈
出典
- ^ a b “地名をあるく 1.高梁 - 高梁市公式ホームページ”. www.city.takahashi.lg.jp. 2019年9月7日閲覧。
- ^ a b c 岡山県大百科事典編集委員会『岡山県大百科事典』山陽新聞社(1979年)
- ^ a b c d e 太田健一『倉敷・総社の歴史』郷土出版社(2009年)
- ^ a b 藤井駿・加原耕作『備中湛井十二箇郷用水史』湛井十二箇郷組合(2001年)
- ^ 北原糸子 編、松浦律子 編、木村玲欧 編『日本歴史災害事典』吉川弘文社、2012年6月11日、368頁。ISBN 9784642014687。
- ^ 「高梁川改修工事が完成、酒津で祝賀式」『大阪朝日新聞』1925年(大正14年)5月21日岡山版(大正ニュース事典編纂委員会『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.48 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ “平成30年7月豪雨災害記録誌”. 岡山県 (2020年3月27日). 2024年7月7日閲覧。
- ^ “真備緊急治水対策プロジェクト”. 国土交通省中国地方整備局 高梁川・小田川緊急治水対策河川事務所. 2024年7月7日閲覧。
- ^ “小田川合流点付け替え事業が完了 真備で式典、復興の節目祝う”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2024年3月23日) 2024年7月7日閲覧。
- ^ “土木学会選奨土木遺産 室戸台風後の災害復旧橋梁 田井橋・方谷橋”. 一般社団法人 中国建設弘済会. 2024年6月6日閲覧。
- ^ “新総社大橋 6月25日開通 渋滞緩和、企業誘致など見込む”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2016年5月24日) 2016年6月29日閲覧。
- ^ “高梁川の川辺橋 橋脚傾き通行止め 大雨の影響か、復旧見通し立たず”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2023年5月8日) 2023年6月4日閲覧。
- ^ “傾いた川辺橋 橋脚撤去へ工事着手 岡山県 6月中旬までの完了目指す”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2023年6月4日) 2023年6月4日閲覧。
- ^ “「倉敷大橋」市民ら渡り初め 西阿知町 - 船穂町間、24日開通”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2016年1月23日) 2016年1月24日閲覧。
- ^ “「水江の渡し」90年の歴史に幕 倉敷大橋開通で運航は3月末まで”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2016年3月15日) 2016年4月9日閲覧。
- ^ “倉敷みなと大橋 3月25日に開通 水島と玉島結ぶ 物流コスト減狙い”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2017年2月20日) 2017年2月20日閲覧。
参考文献
- 『日本古典文学大系 風土記』(岩波書店 秋元吉郎校注)
- 『総社市史 通史編』(総社市)
- 『月刊歴史手帖/古代吉備豪族の誕生(1976年4卷6号)』(名著出版 葛原克人著)
- 『岡山県埋蔵文化財発掘調査報告書35/備中こうもり塚古墳』(岡山県教育委員会 葛原克人著)
- 『吉備郡神社誌(古郡神社)』(岡山県神職会吉備支部 高杉槌蔵著)
- 太田健一『倉敷・総社の歴史』郷土出版社(2009年)
- 藤井駿・加原耕作『備中湛井十二箇郷用水史』湛井十二箇郷組合(2001年)
- 岡山県大百科事典編集委員会『岡山県大百科事典』山陽新聞社(1979年)
関連項目
外部リンク
高梁川と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
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