仁淀川とは? わかりやすく解説

によど‐がわ〔‐がは〕【仁淀川】

読み方:によどがわ

愛媛県高知県流れる川。愛媛県石鎚(いしづち)山南斜面に源を発し高知県中央部流れて土佐市高知市の境で土佐湾に注ぐ。長さ124キロ愛媛県側では面河(おもご)川、高知県側では仁淀川という。中流部峡谷で、山間地はコウゾなどの製紙原料産地下流部園芸中心とした農業が盛ん。上流部石鎚国定公園属する。


仁淀川

自然とふれあいリフレッシュ 我が恵みの仁淀川
仁淀川は、西日本最高峰石鎚山標高1,982m)に源を発し愛媛県内を西南流れたのち東に向き変えて高知県入り幾つかの支流合わせつつ流下し、吾南・高東平野貫流して土佐湾に注ぐ流路延長124km、流域面積1,560km2四国第3河川です。流域のほとんどは急峻な山地覆われ下流部平野支川の奥に行くほど低くなる典型的な「低奥型地形となってます。

紙のこいのぼり
紙のこいのぼり

河川概要
水系仁淀川水系
河川名仁淀川
幹川流路延長124km
流域面積1,560km2
流域内人105,000
流域関係都県高知県愛媛県

仁淀川流域図
○拡大図
1.仁淀川の歴史
"仁淀川には、昔年より洪水戦ってきた先人治水工法今日にも伝えられています。その中で野中兼山深く仁淀川に係わってきました野中兼山といえば、まず最初に思い出すのは、大きな川に堰を造り、そこから井筋用水路)を引き、多く新田開発したことです。治水の中では二重堤防等の河川工法あります。"

仁淀川の名前の由来はいくつもの説があり、この川のアユ朝廷贄殿(にえどの)献上したので贄殿川と呼ばれ仁淀川となった説や、この川が淀川似ているので似淀川となり仁淀川となった説。また、古代仁淀川は、大神捧げる酒をこの川で醸造したことから、「神河」と書いて“三輪川”と呼ばれいつしか仁淀川となったといわれています。

野中兼山像
野中兼山

仁淀川の土木事業大きな業績残した人物に、土佐藩執政であった野中兼山挙げられます。兼山残した土木遺構は、八田堰や鎌田堰、弘岡井筋等の灌漑施設八田二重堤防宮崎水越等の治水施設代表的なもので、これらは先人今日にも伝える仁淀川の貴重な治水財産となってます。

左岸より八田堰を望む
左岸より八田堰を望む
河口から9km付近に現存する八田堰は、兼山指揮し慶安元年(1648)から承応元年(1652)まで5年要して築いたものです。現在はコンクリートにより近代的改修されていますが、元々の兼山遺構八田堰は湾曲斜め堰で、施工にあたって流水との調和を図るため川に綱を張り流水による綱のたわみぐあいを調べて堰の方向形状決めたといわれています。また、左岸弘岡井筋作り、吾南平野約900haの灌漑用水路としてだけでなく、高知城下へ通じ物資運送路としても利用していました

宮崎の水越
宮崎水越
宮崎水越は、波介川合流点付近堤内低地遊水池とするため、仁淀川本堤の一部を切り欠いて石の三面張りの水越越流堤)を設け支流合流点下流側固定することで合流点水位差を大きくし、支川上流低地滞水被害減少させる優れた発想つくられいました。現在は堤防改修進み、昔の面影残っていません。

八田の二重堤防
八田二重堤防
八田二重堤防は、兼山水害防止上の通例をこえて平地高く築いた二重堤防であり、当時他所では見ることのないもので、仁淀川氾濫非常時備え、また開墾地保護一策として築かれたものです。

江尻羽根
江尻羽根
直轄管理区の上流端付近河口から約14km)に残る江尻羽根は、支川内水氾濫防御のために設けられ羽根現在の背割堤)ですが、洪水により幾度となく流失し修築繰り返されきました
2.地域の中の仁淀川
"仁淀川では、毎年各種イベント開催されています。また、仁淀川においては2002年7月夏場川の水利用者調査おこなった結果全国第1位となってます。
仁淀川では仁淀川流域会議等の交流会議を開催しており上下流の住民との交流を図る取り組み行ってます。
上流では大渡ダムがありダム湖においてブラックバス及びコイ等の釣り行ってます。"


波川緑地公園
波川緑地公園
仁淀川を泳ぐ紙のこいのぼり
仁淀川を泳ぐ紙のこいのぼり

仁淀川は、2002年7月川の水利用者調査結果全国第1位(利用者363人/km)となっていることからわかるように、夏季多く人々利用ありますまた、毎年各種イベント開催され多くの人が参加してます。

仁淀川下流には、市町村商工会議所等を中心とした「仁淀川わくわく会議」があり、仁淀川をとした地域づくりのための各種方策検討するとともに、仁淀川で実施される各種イベント主催支援してます。毎年5月ゴールデンウィークには、わくわく会支援のもと地元土佐和紙作られ大小200匹の「紙のこいのぼり」が仁淀川を泳ぎ毎年大勢の人で賑わってます。

また、上流域含めた県内流域市町村が一体となり、仁淀川流域保全流域圏活性化を図ることを目的として設置構成された仁淀川流域交流会議では、市町村間における交流事業教育啓発事業等を行ってます。その活動一つとして実施されている仁淀川親子バスツアーでは、教育啓発のため仁淀川流域の川や森林等の現状視察し現状認識深めるとともに上下流に住む人々交流を図る取り組み行ってます。

レスキュー訓練
レスキュー訓練
近年の自然や河川対す関心の高まりにともない河川利用した自然体験型のレジャーを楽しむ人々増加してきています。その一方で水難事故は後を絶たず、多く方々亡くなられています。こうした状況の中、国土交通省河川局では水難事故減少目指し、「危険が内在する河川自然性踏まえた河川利用及び安全確保あり方に関する研究会」や「新し時代ダム管理考え研究会」を設置し、その提言取りまとめています。仁淀川においても、下流での水泳キャンプ等の河川利用に対して上流ダムからの放流による水位上昇分かりやすく確実に伝えることや、学校教育社会教育における安全意識啓発等を行っていきます

ダム湖の利用状況
ダム湖利用状況
仁淀川は、上流ばかりでなく中流から下流かけても清冽な流れ緩やかな流れと広い河原には多くの人が水遊び釣り等に訪れますまた、上流大渡ダムにおいても、ダム水位変化の多い時を除き自由使用として解放されているため、休日にはブラックバスコイ等を釣り多く利用者訪れ釣り大会等も開催されています。
3.仁淀川の自然環境
"仁淀川は石鎚山源流とし幹川流路延長124km、流域面積1,560km2河川でありその流域のほとんどは急峻なとなってます。水質においてはBOD平均値でみると2002年では0.6mg/Lで全国一級河川109のうち第7位となってます。また漁業盛んにおこなわれており、また植物では代表的にはオギツルヨシヤナギ等があり、鳥類については河口部では地元野鳥愛好家達の絶好探鳥コースとなってます。"


中流域
中流域
下流域
下流域

仁淀川流域は、台風銀座の名で知られる高知県のほぼ中央位置し、年平均 降水量流域平均で約2,500mm程度であり、特に中流部は3,000~3,250mmに達します
流域面積(1,560km2)のほとんどが急峻な山地覆われ平地中流部越知町伊野から河口に至る左右岸に開ける吾南・高東平野の約3%に過ぎません。河川先行河川性格をもって貫入蛇行し、特に中流部著しく平地以外では山脚河岸まで迫ってます。下流部全体として礫質な砂州形成される中流域様相呈し感潮域河口から3km程度までとなってます。
水質は、直轄区間4地点BOD平均値でみると、2002年では0.6mg/Lと良好な水質維持しており、一級水系109河川においても第7位と全国屈指の透明度誇ってます。

仁淀川源流域石鎚国定公園指定されシコクシラベブナ林等の貴重な天然林分布しイノシシや国の特別天然記念物であるオオサンショウウオ等が生息してます。
タコノアシ
タコノアシ
下流域直轄管理区間)では、竹林エノキヤナギ等の河畔林多く見られ、広い砂州には流水影響強くうけるツルヨシヤナギタデネコヤナギ等の植物群落形成してます。また、河口付近感潮域には海岸砂丘性や塩沼湿地性の群落分布してます。代表的な植物としてはオギツルヨシヤナギ等で、特定種はカワヤナギタコノアシノジアオイ等が確認されています。

トビハゼ
トビハゼ

魚類これまで106種が確認されていますが、そのうち汽水海水魚26種(36.1%)を占めてます。中・上流域代表種オイカワアユ等、特定種はアカザカワアナゴ等が確認されています。感潮域ではボラマハゼ等の代表種特定種はアカメトビハゼ等が確認されています。なお、仁淀川ではアユ漁やウナギ漁等が盛んに行われており、2000年アユ年間漁獲量は130tとなってます。

鳥類は、ハイタカコアジサシチュウサギ等の特定種が確認されています。また、河口付近広がるヨシ群落低木林オオヨシキリウグイス集団繁殖地弘岡付近砂礫地はコアジサシ集団繁殖地波介川との合流点付近サギ類の集団ねぐらとなってます。
ハイタカ サギ類の集団ねぐら エノキ林
ハイタカ サギ類の集団ねぐら エノキ

その他、小動物昆虫類にとっても仁淀川下流域河畔林田畑等の多様な環境重要な生息環境となっていることが分かってます。
4.仁淀川の主な災害


発生発生原因被災市町村被害状況
昭和38年8月台風5号土佐市伊野町春野町日高村浸水面積2,187ha
浸水戸数 不明
昭和50年8月台風9号土佐市伊野町春野町日高村浸水面積 2,514ha
床上浸水 4,128
床下浸水 3,342

(注:この情報2008年2月現在のものです)

仁淀川

読み方:ニヨドガワ(niyodogawa)

所在 愛媛県高知県

水系 仁淀川水系

等級 1級


仁淀川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/23 23:07 UTC 版)

仁淀川
水系 一級水系 仁淀川
種別 一級河川
延長 124 km
平均流量 -- m3/s
流域面積 1,560 km2
水源 石鎚山(愛媛県)
水源の標高 1,982 m
河口・合流先 土佐湾(高知県)
流域 日本
愛媛県高知県

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仁淀川の河口付近

仁淀川(によどがわ)は、四国愛媛県高知県を流れる一級河川で、愛媛県内では面河川(おもごがわ)と呼ばれる[1]。流域面積1,560km2石鎚山などの源流から太平洋に注ぐ河口までの幹川流路延長は124km、流域内市町村の数は3市6町1村である[2][3]

吉野川四万十川に次ぐ四国第三の河川とされる。水質は全国1位(2010年)[4]で、水面が青く美しい「仁淀ブルー」と呼ばれる滝壺などがある[3][5]

中流域には四国で第2の規模である多目的ダム大渡ダム」をはじめとして治水水力発電のための施設も多い。

名前の由来

諸説があり、定かではない[6][7]

  • 平城天皇皇子であった高岳親王土佐国(現在の高知県)に来た際、山城国京都府南部)の淀川に似ているので「仁淀」と名付けたという。
  • 有力な説としては、『延喜式』に貢ぎ物として「贄殿川」のアユが登場した。「贄殿」とは宮中厨房で、諸国からなどの貢ぎ物()を納める所である。のちに贄殿川から転じて仁淀川になった。
  • 古代の仁淀川は、大神に捧げるをこの川で醸造したことから、「神河」(みわがわ、三輪川)と呼ばれ、いつしか仁淀川となったと言われる。

地理

四国の最高峰である石鎚山に源を発する面河川と、分水嶺である三坂峠から流れる久万川が、御三戸(愛媛県上浮穴郡久万高原町)で合流して形成される。四国山地に深いV字谷を刻みながら南下し、やがて高知県高知市/土佐市付近で太平洋へと注ぎ込む。三坂峠から御三戸を経て高知県高岡郡越知町までの区間では、松山と高知を結ぶ国道33号が並行する。

流域

上流域

源流部は石鎚国定公園の指定区域にあたり、石鎚山の山麓にある御来光の滝付近から流れ出た面河川は、紅葉で知られる国の名勝面河渓を下り、三坂峠方面から流れてきた久万川と御三戸で合流する。これらの最上流域は険しい山地地形というよりもむしろ盆地に近いものがあるが、旧柳谷村の付近から仁淀川町にかけては、仁淀峡谷と呼ばれる標高差が数100mという険しいV字谷を刻みながら南下する。久万高原町には面河第三ダム、仁淀川町には流域最大の大渡ダムなどがあり、それらのダム付近から越知町にかけてはやや水量が乏しくなるが、ダムより下流側で長者川・土居川、越知町で大桐川といった支流と合流にするにつれ、水量を回復する。面河第三ダム下流の県境から仁淀川と河川名が変わる。

中〜下流域

越知町より下流側は水量も豊富になり、夏場ともなると川辺はキャンプ客や釣り人で埋まる。川面にはカヌーや川漁師の小舟がのんびりと浮かび、水辺利用率全国1位の実力をみせつけてくれる。キャンプ場も多く整備されており、それぞれ利用率も高い。また沈下橋も片岡橋・名越屋橋など大型のものが数多く残っている。いの町出来地で上八川川、いの町勝賀瀬で勝賀瀬川などと合流すると川幅はよりいっそう広がり、大河の様相を呈してくる。国道33号仁淀川橋付近にある河原では毎年5月に「紙のこいのぼり」が行われるほか、春から秋にかけて連日テントがはられている姿をみることができる。

河口部

1977年に、黒潮ラインの一部として仁淀川河口大橋が開通した。当初は有料道路だったが2001年4月に無料開放された。高知県内有数のサーフスポットであり、一年中サーファーの姿が見られる。また、シラスウナギ漁が盛んであり、漁が解禁される12月から翌年3月にかけて河原や周辺の海岸にはブルーシート製の作業小屋が並ぶ。小屋内ではタモで掬ったシラスウナギを雑魚と選別する作業が行われている。近年仁淀川河口大橋土佐市部分に、新居地区観光交流施設南風が完成して、隣接する新居緑地公園に遊具ゾーンが完成した。土佐市にはまだない道の駅に近い観光施設として人気が出ている。津波対策として津波避難タワーも隣接している。また近年参加人数が1万人を超えた高知龍馬マラソン大会の折り返し地点として人気となっている。

歴史

面河水源の森

石鎚山南方面河川の面河渓周辺の森林で、1995年に林野庁が「水源の森百選」の一つ「面河水源の森」として選定した[8]

山岳 面積
(ha)
標高
(m)
人工林
(%)
天然林
(%)
主な樹種 制限林 種類
石鎚山 2,921 900〜1,982 0 100 ブナモミツガ 水源かん養保安林、面河自然休養林[9]、保健保安林、石鎚山系森林生態系保護地域[10] 流水(面河川

所在地: 愛媛県上浮穴郡久万高原町(データは指定年である1995年7月時点のもの)

主な支流

利水施設

主な橋梁

仁淀川河口大橋
左岸高知市春野町、右岸土佐市
左岸吾川郡いの町、右岸土佐市
両岸とも吾川郡いの町
左岸吾川郡いの町、右岸高岡郡日高村
  • 名越屋橋(沈下橋
  • 柳瀬橋 - 高知県道300号柳瀬越知線
両岸とも高岡郡越知町
  • 鎌井田大橋 - 高知県道300号柳瀬越知線
  • 横畠橋 - 高知県道300号柳瀬越知線
  • 横倉橋 - 高知県道300号柳瀬越知線
左岸吾川郡仁淀川町、右岸高岡郡越知町
  • 寺村橋 - 国道33号
両岸とも吾川郡仁淀川町
  • 上仁淀橋 - 国道439号
  • 大渡ダム大橋 - 仁淀川町道
  • 別枝大橋 - 仁淀川町道
上浮穴郡久万高原町
  • 落出大橋 - 国道33号
  • 柳谷大橋 - 国道440号
  • 矢淵大橋 - 国道440号

仁淀川沈下橋

名越屋沈下橋
仁淀川で最古の沈下橋である。橋脚は岩でできている珍しい橋である。
主な橋梁一覧
橋梁名 左岸 右岸 道路名
名越屋橋
(名越屋沈下橋)
いの町 日高村
片岡沈下橋 越知町片岡 越知町南片岡 高知県道301号
浅尾沈下橋 越知町鎌井田本村 越知町浅尾
中仁淀橋 越知町今成 越知町越知甲
久喜橋 仁淀川町相能 仁淀川町久喜
大森沈下橋 仁淀川町大渡 仁淀川町森

主な観光地

にこ淵の全景

仁淀川を舞台とする作品

文学作品

仁淀川を舞台とした文学作品で名高いのが、宮尾登美子の自伝小説『櫂』『春燈』『朱夏』『仁淀川』である。宮尾は高知県に生まれ育ち、戦前および戦後の引揚げ後の2度にわたり仁淀川流域で暮らした経験があり、上記作品群はその経験を元に書かれたものとなっている。近年では高知県出身の女性作家有川浩の作品『空の中』において、仁淀川で河漁師として生計を立てる人物が作中重要な役割を果たしている。

ドキュメンタリー

参考画像

脚注

関連項目

外部リンク

河川管理者
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その他



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