沙流川
沙流川は、日高山脈の北海道日高町の日勝峠近くに源を発し、ほぼ南西方向に流下している。途中、芽室岳(1,754m)、ルベシベ山(1,740m)、チロロ岳(1,880m)等に源を発するウエンザル川、ペンケヌシ川、パンケヌシ川等と合流し日高町の市街地に至り、さらに戸蔦別岳(1,960m)、幌尻岳(2,052m)に源を発する額平川等の支川と合流し、平取町本町の市街地を経て門別町富川にて太平洋に注いでいる、流域面積1,350km2、幹川流路延長104kmの河川です。 |
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沙流川河口より上流方向 |
河川概要 |
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1.沙流川の歴史 |
"流域にはアイヌ語地名が数多くあり、また数々の遺跡などから、近世アイヌ文化期に至るまでの営みを知ることができます。地域に住むアイヌの人々の間には、チプサンケ等、今もその文化が受け継がれています。一方、和人の入植は江戸末期で、流域は農業、漁業、軽種馬生産を通じ発展してきました。" |
沙流川の流域には、先史時代から人々の生活の足跡が残されており、アイヌ文化の時代にあっては道内で有数のコタン(集落)が形成されていました。流域にはその土地の特徴や歴史を知る重要な手がかりとなるアイヌ語地名が数多くあり、また、数々の遺跡が発掘されていて、旧石器時代から近世アイヌ文化期に至るまで、絶え間なく人間の営みのあったことをうかがい知ることができます。特に平取町においては、発掘された多くの遺跡から中近世のアイヌ文化期に二風谷地区周辺で道内有数規模の集落を形成していたことが知られています。地域に住む人々の間には、チプサンケ(舟おろしの儀式)等、今もその文化が受け継がれており、平取町においてはそのアイヌ文化を後世に伝えるため、様々な学習・教育活動が行われている他、アイヌ文化保存会による文化伝承活動などが積極的に実践されています。 一方、流域の和人による開墾は江戸時代末期から始まりました。明治末期には原木輸送のため、鉄道が開通するなど、交通の要衝として、商工業とともに現在の市街地が発達してきました。流域での水産業の歴史も古く、江戸時代末期にはコンブ投石実施によるコンブ養殖の記録が残っています。軽種馬生産は明治末期に端を発し、その後、戦中戦後の混乱期を除き、徐々に規模を拡大してきました。流域農業の主要作物である水稲は、明治前半から栽培が始められ、大正から昭和にかけては門別町や平取町において稲作の作付け志向が強くなり沙流川水系を水源とする水田が増加しましたが、昭和30年代以降に堤防の整備が進むまでは、外水の氾濫による大きな洪水災害をたびたび受けていました。
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2.地域の中の沙流川 |
"沙流川流域は軽種馬の生産・育成が基幹産業の一つであることから、高水敷が採草放牧地として広く利用されています。また、門別町、平取町の都市区域においては、広場・公園・緑地などが整備され、スポーツ、散策等多目的に利用されています。また河川空間を利用した行事としてししゃもまつりやチプサンケなどがあります。" |
門別町、平取町の都市区域においては、うるおいとやすらぎを得られる貴重なオープンスペースとして、河川敷に広場・公園・緑地などが整備され、スポーツ、散策、魚釣り等多目的に利用されています。
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3.沙流川の自然環境 |
"上流は日高山脈襟裳国定公園に属し、日勝峠付近のエゾマツ・ダケカンバ群落は「沙流川源流原始林」として国の天然記念物に指定されています。哺乳類ではエゾシカ、ヒグマ、クロテンなどが生息し、鳥類は猛禽類が生息または飛来し、水辺はガンカモ類の渡りの中継地となっています。魚類はサケ・マス、シシャモ等が遡上しています。" |
域内の動物は、哺乳類でキタキツネ、タヌキや大型獣のエゾシカ、ヒグマ、貴重種ではクロテンなどが確認されています。鳥類はハヤブサ、クマタカ、オオタカ、オジロワシなどの猛禽類が生息または飛来し、水辺はオオハクチョウやヒシクイなどのガンカモ類の渡りの中継地となるほかアオサギが生息しています。魚類はサケやサクラマス等が遡上するほか、北海道の太平洋沿岸にのみ分布する日本固有の魚種であるシシャモが、秋から冬の産卵期に遡上します。
尚、沙流川上中流部には神居古潭帯と呼ばれる地層が分布しており、日高累層群、輝岩質岩、蛇紋岩で構成されますが、全般に脆弱で地すべりや土砂崩落を起こしやすい地層となっています。 |
4.沙流川の主な災害 |
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(注:この情報は2008年2月現在のものです)
沙流川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/03 21:35 UTC 版)
沙流川 | |
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写真上/沙流川(富川) 日高本線から河口側を望む
写真下/沙流川(平取) 平取橋より下流側を望む |
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水系 | 一級水系 沙流川 |
種別 | 一級河川 |
延長 | 104 km |
平均流量 | 58.0 m3/s (平取観測所 2000年) |
流域面積 | 1,350 km2 |
水源 | 熊見山(日高町) |
水源の標高 | 1,175 m |
河口・合流先 | 太平洋(日高町) |
流域 | ![]() 北海道日高振興局管内 |
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沙流川(さるがわ)は、北海道日高振興局管内を流れ太平洋に注ぐ一級河川。沙流川水系の本流である。2004年には国土交通省が行っている全国一級河川の水質調査で1位に選ばれている。
地理
北海道沙流郡日高町北東部の上川郡清水町との境界にある日高山脈北部の熊見山(標高1,175m)に源を発し南西に流れる。二風谷ダムを経由して、日高町字富浜と日高町富川南の境界から太平洋に注ぐ。
上流部は切り立った渓谷で、中流は河岸段丘、下流部は扇状地となっている。中流に最大のアイヌ集落である平取(びらとり)コタンがある。
源流域の日勝峠付近は、北海道における冷温帯上部の代表的森林として、1970年(昭和45年)12月4日に沙流川源流原始林の名称で、国の天然記念物(天然保護区域)に指定されている。
地名由来
沙流川の名は、アイヌ語の「サラ」Sar=葭原(よしはら)あるいは「サル・ウン・クル」(葭原に住む人々)に由来。原名をシシリㇺカ:Sisirmkaと呼ばれるが、これは、「満潮毎に集まる砂が多くて、その河口がふさがって高台になっている」という意味である[1][2]。なお、アイヌ語では北見の「斜里」と混同される恐れがあるので、こちらを「マッネ・サラ」(女性のサラ)、「斜里」の方を「ピンネ・サラ」(男性のサラ)と呼んで区別する[3]。
先住民族アイヌの神揺「カムィユカㇻ」(Kamui Yukar)には、英雄神オキクルミの妹が謠う謠の中に「シシリムカ アコロコタン」(Shishirmuka a=kor kotan : シシリムカなるわがふるさとの)という節があり、シシリムカという川の呼び名が、アイヌの神々が沙流川を指して呼ぶときの呼び名で、またそこがアイヌの神々の故郷(先住民にとっての神域)であることを示している[4]。
流域の自治体
治水および利水
中流域には日高電源一貫開発計画[5]の中心河川としてほくでんエコエナジーにより出力3,000kWの二風谷ダムが建設され、電力供給と洪水調節が行われている。
災害史
有史以来、以下の水害記録が残る[6]。
- 1876年
- 1885年
- 1905年
- 1922年 - 鵡川と合わせて死者十数人。
- 1928年
- 1931年 - 死傷者56人。
- 1935年 - 死傷者63人。家屋被害764棟。
- 1955年 - 新冠川と合わせて死者1人。家屋被害89棟。
- 1961年 - 家屋被害337棟。
- 1962年 - 鵡川と合わせて死者5人。家屋被害124棟。
- 1973年 - 死者1人。家屋被害62棟。
- 1981年 - 死傷者6人。
- 1992年 - 家屋被害136棟。
- 1997年
- 1998年 - 家屋被害10棟。
- 2001年 - 浸水被害
- 2016年8月- 上流域で平成28年台風第10号通過に伴い集中豪雨があり大規模出水が生じた。河川と並行する国道274号の複数の橋脚が流出し、日高町市街地から日勝峠の区間において長期間通行止めとなる被害が出たため、復旧工事が進められた[7]。
主要ダム
一次 支川名 (本川) |
二次 支川名 |
三次 支川名 |
ダム名 | 堤高 (m) |
総貯水 容量 (千m3) |
型式 | 事業者 | 備考 |
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沙流川 | ウエンザル川 | - | 奥沙流ダム | 30.0 | 530 | 重力式 | 北海道電力 | - |
沙流川 | - | - | 岩知志ダム | 33.0 | 5,040 | 重力式 | 北海道電力 | - |
沙流川 | 額平川 | 宿主別川 | 平取ダム | 56.5 | 45,800 | 重力式 | 北海道開発局 | - |
沙流川 | - | - | 二風谷ダム | 32.0 | 27,100 | 重力式 | 北海道開発局 | - |
- 備考:黄欄は建設中もしくは計画中のダム(2012年現在)。
支流
括弧内は流域の自治体
- ウエンザル川(日高町)
- パンケヌシ川(日高町)
- 曲り沢川(日高町)
- 二の沢川(日高町)
- 千呂露川(日高町)
- 三岐沢川(日高町)
- 二岐沢川(日高町)
- ペンケウシャップ川(日高町)
- パンケウシャップ川(日高町)
- 岡春部川(日高町)
- 仁世宇川(平取町)
- 池売川(平取町)
- ポロケシオマップ川(平取町)
- 額平川(平取町)
- ニセイハオマナイ川(平取町)
- 宿主別川(平取町)
- アブシ川(平取町)
- 貫気別川(平取町)
- ニタツナイ川(平取町)
- セタナイ川(平取町)
- 荷負川(平取町)
- 看看川(平取町、普通河川)
- シケレベ川(平取町)
- 二風谷川(平取町)
- アベツ川(平取町)
- オバウシナイ川(平取町)
- シラウ川(平取町、日高町)
主な橋梁
- 嶺雲大橋 - 国道274号
- 浪の沢橋 - 国道274号
- 清流橋 - 国道274号
- 中の沢橋 - 国道274号
- 岩魚橋 - 国道274号
- 新清見橋(国道274号)
- ニセクシュマナイ橋(国道274号)
- 上滝橋(国道274号)
- 清瀬橋 - 国道274号
- 岩瀬橋 - 国道274号
- 日栄橋 - 国道274号
- 大颱橋 - 国道274号
- 千呂露橋 - 国道274号
- 岩石橋
- みどり橋(人道橋)
- 右左府橋 - 北海道道847号三岩日高線
- 三岡橋 - 北海道道847号三岩日高線
- 日高大橋 - 国道237号
- 三岩橋 - 国道237号
- 黄金橋
- 景勝橋 - 国道237号
- 竜門橋 - 国道237号
- 平和橋
- 幌去橋 - 国道237号
- 振内橋 - 国道237号
- 池売橋 - 北海道道797号貫気別振内線
- 幌毛志橋
- 長知内橋 - 国道237号
- 二風谷ダム管理橋
- 平取橋
- 新平取大橋 - 国道237号
- 荷菜大橋
- 紫雲古津川向大橋
- 沙流川橋 - 国道235号
関連項目
脚注
- ^ 水管理・国土保全局 (2016年). “沙流川の歴史” (jp). 北海道地方の河川情報. 国土交通省. 2023年12月14日閲覧。
- ^ 室蘭開発建設部, 国土交通省北海道開発局. “沙流川流域概要”. 室蘭開発建設部. 2019年9月6日閲覧。
- ^ “アイヌ語地名リスト シベ~セツ P61-70P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2019年7月11日閲覧。
- ^ 京助, 金田一『アイヌ聖典』世界文庫刊行會、1923年1月15日、298頁。「沙流川の古名なりといひ、アイヌ間にはこの川の名 Sar pet なれど、神々の方で呼ぶ名はShishirimuka なりといふ。」 ※引用部はカムィユカラを記録した金田一京助が「シシリムカ」というアイヌ語につけた注釈。
- ^ 日高電源一貫開発 新エネルギー財団
- ^ 竹内裕希子「2003 年 8 月台風 10 号による北海道日高地方の水害 -沙流川・鵡川の場合」防災科学技術研究所主要災害調査 第39号 2006年1月 20頁
- ^ 日勝峠、来秋にも開通へ 復旧工法に見通しWEBみんぽう(2016年11月30日)2016年12月4日閲覧
出典・外部リンク
沙流川(さるかわ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 09:21 UTC 版)
「銀の匙 Silver Spoon」の記事における「沙流川(さるかわ)」の解説
八軒らが3年の時の馬術大会で対戦した、日高農業高校の馬術部員。西川と同じ新ひだか第4中学出身。対戦相手へ「心理戦」と称して女性部員へナンパをしかけるという性悪。大会でも「ゆさぶり」と称して御影をナンパし、かつての同級生である西川を貶めるが、それに腹を立てた馬術部男子部員の逆撃に精神をズタズタにされ、団体戦はもちろん翌日の個人戦でも集中力を奪われていいところなく大会を終えてしまった。
※この「沙流川(さるかわ)」の解説は、「銀の匙 Silver Spoon」の解説の一部です。
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