雄物川
雄物川は秋田県の南部に位置し、湯沢市・大曲市・秋田市の3市と、雄勝・平鹿・仙北・河辺の4郡にまたがり、流域の東方を奥羽山脈に遮られ日本海側気候の特性を有する流域面積4,710km2、幹川流路延長133kmの一級河川です。 |
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協和町を流れる雄物川 |
河川概要 |
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1.雄物川の歴史 |
"雄物川は、古くから上流の穀倉地帯と土崎港、さらには船川港を結ぶ重要な舟運のルートでした。秋田に転封された佐竹義宣は、雄物川の水運を最大限利用するため藩内の諸河川を整備しました。" |
雄物川の歴史、先人の知恵の活用 |
雄物川は、古くから上流の穀倉地帯と土崎港、さらには船川港を結ぶ重要な舟運のルートでした。慶長7年(1602年)秋田に転封された佐竹義宣は、雄物川の水運を最大限利用するため藩内の諸河川を整備しました。膨大な量の米、大豆等の穀物を雄勝・平鹿・仙北・河辺・秋田郡から運ぶためには、雄物川とその支流を利用した舟運が最も適していたのです。 その後は、土崎の河口港を起点として、大船は角間川までのぼり、さらに小舟は鵜巣から湯沢、皆瀬川では戸波まで入っていました。河港の中で最も繁栄したのが、大船の終航地である角間川であり、明治30年頃からは秋田県内における屈指の裕福な町、商人地主の町として有名となったほか、大曲河港も本流と丸子川の合流点に立地し、支流玉川を川下に持つだけに、北浦地方を商圏として繁栄を見せました。しかし、盛大を極めた雄物川の水運も明治39年9月14日の奥羽線の開通によって物資は鉄道に吸収され、没落の一途をたどり次第に衰退していきました。今でも、川岸には昔をしのばせる船着場の跡や浜倉の跡が残ります。 雄物川の治水の歴史は古く、雄物川と玉川の合流点に位置する神宮寺は、古くから水害に悩まされ、雄物川は幾度となく流心を変えて流れていました。特に安永6年(1777年)の大洪水、さらに天明元年(1781年)の洪水により大きな被害を受け、たまりかねた藩では、同2年、神宮寺から南外村まで1270間余りの新川替えを、人足延べ3万6千余人を費やし2箇月で掘ったと記録されています。
近年、経済が成長から安定に向かうなか、国民の意識変化もあって、雄物川に対しては、その豊かな自然と風土が育んできた歴史・伝統を活かし、ゆとりある生活環境の形成を図る役割への期待は大きなものです。このためにも、整備の遅れている雄物川の現状を考えるとき、なおその整備に邁進していかなければなりません。 |
2.地域の中の雄物川 |
"雄物川町河川公園は、ふるさとの母なる川「雄物川」をさらによく知り、より川と親しむために、親水公園としては東北でも他に類を見ない規模の河川公園が作られています。他にも、雄物川花火大会や、鮎つかみ大会など、様々なイベントがあります。" |
雄物川町河川公園 ふるさとの母なる川「雄物川」をさらによく知り、より川と親しむために、約20ヘクタールに及ぶ河川敷に緑地広場や水辺空間を整備し、親水公園としては東北でも他に類を見ない規模の河川公園が作られました。 現在まで、公園の輪郭もほぼ整い、これまで各種イベントの会場として利用され、また、一般にも開放されています。1周1.3km、幅10mの舗装路では水遊びや、カヌー、川舟を楽しむ場として利用されています。また、デイキャンプ場やファミリー広場では、バーベキューや芋の子会、散策を楽しんだり、砂遊びやビーチバレーなども楽しめます。新たに、四季折々の草花が楽しめる花の広場、釣り堀なども完成しました。 多彩に整備されたゆとりの空間、雄物川から吹き付けるさわやかな川風、多目的に活用できる本格的河川公園、町の川へのこだわりが感じられます。 雄物川花火大会
開催当初から4千発を打ち上げ、多くの観覧客を集めたこの花火大会ですが、近年では周辺地域のみならず市外からもおいでいただき、回を重ねるたびに盛り上がりをみせています。これからもよりいっそうの活性化を目指し、大会を盛り上げていきたいと思います。 雄物川鮎つかみ大会
今後も川とのふれあいをテーマに、こういった貴重な体験の場を提供できるよう頑張っていきたいと思います。 |
3.雄物川の自然環境 |
"雄物川流域は近年、秋田平野を中心に市街地化が著しく進展しているが、一方で、様々な動植物が集団繁殖している他、貴重な魚類の生息も確認されているもっとも重要視すべき川である。" |
雄物川は、その周縁を奥羽山脈・出羽山脈・出羽山地・太平山地等に囲まれており、これらの地域には、ブナ、ナラ等の広葉樹が繁茂し優れた景観を呈しているため、十和田八幡平国国立公園、栗駒国定公園、真木真昼・田沢湖抱返り・太平山県立自然公園に指定されています。 雄物川の河川敷は、高水敷の大部分が農地として利用されていることもあり、特に貴重な植生は確認されていません。植生は、ヨシ、オギ草原が主体となっており、川辺林として、ヤナギ、ニセアカシアなどが生育し、高水敷農地の中にはスギなどの樹木林も存在しています。ヨシ・オギ等の川辺高茎草本群落は、鳥類・昆虫類などの重要な生息環境を形成していますが、ツツガ虫の生育場所にもなっています。上・中流部の渓流及び淵の連続する河川空間には、沿川山地に優れた自然環境を控えていることもあり、カワセミ・ヒクイナ・オオバンのほか、シギ・チドリ類・カモ類や森林性の鳥類が多彩に見られ、さらに、これらを狙うオオタカ・チゴハヤブサなどの猛きん類が飛来しています。一方、河口部にはアオサギ・セグロセキレイ・カモ類などの水鳥が多く見られます。また、冬期には、皆瀬川に2,000羽を超すオオハクチョウが飛来し、訪れる人を楽しませてくれます。 雄物川及周辺に生息する代表的な昆虫類としては、草原に棲むイナゴなどのバッタ類、水辺のモンカゲロウ・カワゲラ・ハグロトンボや水中のゲンゴロウなどがみられます。漁種としては、コイ・フナ・ウグイ・ナマズ・ニゴイ・ソウギョ・カワヤツメ・サケ・カジカ・アユ・ウナギ等があげられます。3月下旬からウグイやヤツメが産卵のため海から遡上し、5~6月には上流部でもみられます。7月上旬にはアユが最盛期となり、10月下旬頃からはサケも上がりはじめます。雄物川は、魚影が濃くいたる所で魚釣りを楽しむことができる川なのです。
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4.雄物川の主な災害 |
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(注:この情報は2008年2月現在のものです)
雄物川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/05 14:24 UTC 版)
雄物川 | |
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秋田大橋より南東(上流方向)を望む(秋田市)
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水系 | 一級水系 雄物川 |
種別 | 一級河川 |
延長 | 133 km |
平均流量 | 276.2 m3/s (椿川観測所) |
流域面積 | 4,710 km2 |
水源 | 大仙山(湯沢市) |
水源の標高 | 920 m |
河口・合流先 | 日本海(秋田市) |
流域 | ![]() |
雄物川(おものがわ)は、秋田県を流れている一級河川。雄物川水系の本流。秋田県の南半分が流域である。
地理
湯沢市と山形県最上郡真室川町の県境付近にある大仙山が源であり、十分一沢川と南沢川が合流して雄物川になる。穀倉地帯である横手盆地を北へ流れ、大仙市大曲で玉川が合流する付近から流路を西寄りに変える。出羽丘陵のやや狭搾した場所を蛇行しながら北西に向かい、秋田市に入り平野部に出ると秋田市街の南部を流れ、秋田市新屋町で日本海に注ぐ。
本流筋にはダムが無いため、大雨が降ると水嵩が急増するが夏季の渇水期にはかなり減る。堰などの河川施設が少ないのでカヌーが利用できる。船着き場なども整備されている。
大仙市にある「雄物川河川緑地」が、昭和62年度手づくり郷土賞(水辺の風物詩)受賞[1]。角間川地区の「河港のまち角間川ルネサンス ~雄物川舟運の歴史文化を活かしたまちづくり~」が令和2年度同賞受賞[2]。
生物
流域には自然が多く残り、上流域ではイワナ、ヤマメが、中流から下流にかけてはウグイ、ヤリタナゴ、ブラックバスなどがそれぞれ優占するなど多くの淡水魚類が生息する。シーバスなど海域から遡上する種も多く、また、絶滅が危惧されるゼニタナゴの分布北限は当流域にある。
歴史
天長7年1月3日(ユリウス暦830年1月30日)の地震と思われる未確定な事象により、「秋田河の水涸れて溝の如くなり、添河・覇別の河岸崩れ、川を塞ぎ、河水氾濫」との記録に現れるのが初見で、この「秋田河」が雄物川に比定されている(茅野一郎・宇津徳治, 1987, 日本の主な地震の表, 地震の事典, 朝倉書店)。同様に「添河」は旭川に、「覇別」は太平川に比定されている。
明治期に奥羽本線が全通するまで水運が盛んに行われ、上り舟は海産物などを、下り舟は米など農産物を主な積み荷とした。角間川、刈和野(いずれも現在の大仙市)などには、大きな河岸場があった。古くは「大川」とも呼ばれていたが、御物(年貢米)を運んだことから「御物川」「御貢川」などと呼ばれ、これが転じて「雄物川」になったという[3]。江戸時代には久保田藩と亀田藩との間で、雄物川水運への課税をめぐる紛争がたびたび発生している(雄物川一件)。
かつては土崎港(秋田港)内に河口があったが、洪水防止のため大正から昭和にかけて大改修が行われ、1938年(昭和13年)に雄物川放水路が河辺郡新屋町(現在の秋田市勝平地区)に作られた。旧雄物川は秋田運河となり、水位が下がって新たに生じた土地は開拓され住宅地・工業地帯となった。国道7号・国道13号(秋田北バイパス)もかつての水域を通っている。
1947年(昭和22年)8月1日の集中豪雨により増水。被害多数[4]。この直後の8月14日、昭和天皇の戦後巡幸があり、天皇が中川原橋付近で、水害復旧のための橋梁修理などに従事した人々に慰労、激励の言葉をかける場面があった[5]。
1983年(昭和58年)5月26日の日本海中部地震の際には、津波が雄物川河口から逆流したうえ、旧河口を中心に液状化現象が発生する被害が出た。
支流・分流


- 十分一沢川・南沢川 - 合流点から下流が雄物川と呼ばれる
- 山ノ田沢川
- 雄勝川
- 松根川
- 湯ノ沢川
- 役内川
- 高松川
- 白子川
- 皆瀬川
- 西馬音内川
- 新町川
- 横手川
- 黒沢川(山内黒沢川)
- 丸子川
- 玉川
- 桧木内川
- 生保内川
- 楢岡川
- 淀川
- 荒川
- 岩見川
- 三内川
- 旧雄物川(秋田運河)
- 旭川
- 草生津川
- 新城川
橋梁

- 長倉橋[6]
- 院内1号橋(国道108号)[6]
- 晩成橋[6]
- 中乃橋(秋田県道278号雄勝湯沢線)[6]
- 愛宕橋
- 常盤橋[6]
- 桂川橋[6]
- 岩館橋[6]
- 泉沢橋
- 酒蒔橋(秋田県道311号羽後雄勝線)
- 上の宿橋
- 中川原橋(秋田県道278号雄勝湯沢線)
- 文月橋
- 柳田橋(国道398号)
- 京塚橋
- 今泉橋(秋田県道57号十文字羽後鳥海線)
- 新雄物川橋(国道107号、本荘街道)
- 沼館橋(秋田県道48号横手東由利線)
- 大上橋(秋田県道29号横手大森大内線)
- 雄物川第一橋(秋田自動車道)
- 大川橋(秋田県道71号大曲横手線)
- 大曲南大橋(国道105号大曲西道路)
- 大曲花火大橋(秋田県道36号大曲大森羽後線)[7]
- 姫神橋
- 大曲大橋(国道105号)
- 岳見橋(秋田県道30号神岡南外東由利線)
- 刈羽野橋(秋田県道10号本荘西仙北角館線)
- 雄物川第二橋(秋田自動車道)
- 強首橋(秋田県道113号淀川北野目線)
- 福部羅橋(秋田県道149号土淵杉山田線)
- 協雄大橋
- 新波橋(国道341号)
- 中川橋
- 水沢橋(秋田県道9号秋田雄和本荘線)
- 黒瀬橋(秋田県道65号寺内新屋雄和線)
- 雄物川橋(日本海沿岸東北自動車道)
- 秋田南大橋
- 雄物川橋梁(JR羽越本線)
- 秋田大橋(秋田県道56号秋田天王線)
- 雄物新橋(秋田県道65号寺内新屋雄和線)
- 雄物大橋(国道7号秋田南バイパス)
流域の自治体
脚注
- ^ 雄物川河川緑地 国土交通省 p.48
- ^ 河港のまち角間川ルネサンス ~雄物川舟運の歴史文化を活かしたまちづくり~ 国土交通省 p.21
- ^ “湯沢河川国道事務所 ホームページ”. www.thr.mlit.go.jp. 2019年9月5日閲覧。
- ^ 「奥羽本線も不通 秋田の出水被害増す」『朝日新聞』1947年(昭和22年)8月5日4面
- ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、413頁。ISBN 978-4-487-74410-7。
- ^ a b c d e f g 湯沢市防災マップ 院内地区 (PDF, 9.8 MiB)
- ^ 老朽化した大曲橋の南側に2013年(平成25年)8月11日開通。大曲橋は後に撤去。広報だいせん だいせん日和8月1日号 (PDF, 8.9 MiB) p.23。
関連項目
外部リンク
- 雄物川水系河川整備基本方針 (PDF) - 国土交通省河川局(平成20年1月)
雄物川と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 雄物川のページへのリンク