佐竹義宣(さたけ よしのぶ) 1569~1633
◇父:佐竹義重 室:那須資胤女、多賀谷重経女 子:綱川内記信道 養子:佐竹彦次郎義直(義継)、(岩城)左少将義隆
父の補佐を受けつつ家督を継ぎ常陸・佐竹氏当主となって、陸奥・伊達氏、相模・北条氏相手に戦う。小田原征伐の際は、石田三成の斡旋で豊臣秀吉の下に参陣、これに従った。この時秀吉から常陸所領安堵の朱印を得て、実質的にも常陸を平定する。1597年下野・宇都宮氏改易に連座しそうになるが、三成の斡旋でこれを逃れ、1599年武断派7将による三成暗殺未遂事件では、逆に義宣が駆けつけて三成の窮地を救った。その為関ヶ原の合戦では、これまでの友誼から西軍に付こうとしたが、父や家臣の猛反対を受け、板挟みとなって旗幟を鮮明にせず動かず、その責を問われて出羽・秋田18万石に転封される。
佐竹義宣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 06:31 UTC 版)
佐竹 義宣(さたけ よしのぶ)
- 室町時代の佐竹氏当主→佐竹義宣 (伊予守)
- 安土桃山時代 - 江戸時代初期の佐竹氏当主、初代出羽久保田藩(秋田藩)主→佐竹義宣 (右京大夫)
佐竹義宣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 08:52 UTC 版)
五家同盟の盟主で、ウェーブヘアの青年。普段は抑揚に欠けるが、父・佐竹義重を病的に崇拝しており、父の為なら卑劣な手段を講じることも辞さず、部下にも恐れられている。
※この「佐竹義宣」の解説は、「独眼龍改」の解説の一部です。
「佐竹義宣」を含む「独眼龍改」の記事については、「独眼龍改」の概要を参照ください。
佐竹義宣と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 佐竹義宣のページへのリンク