相模・北条氏とは?

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後北条氏

(相模・北条氏 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/27 17:51 UTC 版)

後北条氏(ごほうじょうし、ごほうじょううじ、旧字体表記:後北條氏)は、関東戦国大名の氏族。本姓平氏。家系は武家桓武平氏伊勢氏流。室町幕府の御家人・伊勢氏の一族にあたる「北条早雲」こと伊勢盛時(1432年/1456年 - 1519年)をその祖とする。正式な名字は「北条北條)」だが、代々鎌倉幕府執権をつとめた北条氏とは傍系の遠い血縁関係にあるとされるものの直接の後裔(こうえい)ではないことから、後代の史家が両者を区別するため伊勢氏流北条家には「後」を付して「後北条」と呼ぶようになった。また居城のあった相模国小田原の地名から小田原北条氏(おだわら ほうじょうし/おだわら ほうじょううじ)あるいは相模北条氏とも呼ばれる。最大時(氏政)には関八州で240万石の一大版図を支配していた。


注釈

  1. ^ 近年の研究では興国寺城の拝領については否定的な見解もある[1][2][3]
  2. ^ 近年では文亀元年(1501年)説もある。
  3. ^ なお、山内・扇谷両上杉家や長尾上杉家などの北条家の敵対勢力は、後年まで旧名字の「伊勢」で呼び続けた。対する北条家側も、長尾上杉家のことを旧名字の「長尾」で呼び続けた。
  4. ^ なお、同時期には甲斐武田氏の当主勝頼も信長に対し和睦を試みている(甲江和与)。
  5. ^ ただし、この強引な仲裁がのちの名胡桃城事件の伏線となったことも否めない。

出典

  1. ^ 大塚.
  2. ^ 黒田 2005, p. [要ページ番号].
  3. ^ 北条早雲史跡活用研究会 2000, p. [要ページ番号].
  4. ^ 黒田 2012, pp. 72-75.
  5. ^ 黒田 2013, pp. 16-17, §. 伊勢宗瑞論.
  6. ^ 黒田 2016, pp. 8-12, §. 北条氏綱論.
  7. ^ 佐々木 2008, p. [要ページ番号], §. 相模府中小田原の構造.
  8. ^ 佐脇 1997, p. [要ページ番号], §. 北条氏綱と北条改姓.
  9. ^ 黒田 2016, pp. 16-19, §. 北条氏綱論.
  10. ^ 斎藤 2005, p. [要ページ番号].
  11. ^ 黒田 2005, p. 212.




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