前田利家とは? わかりやすく解説

まえだ‐としいえ〔まへだとしいへ〕【前田利家】

読み方:まえだとしいえ

[1538〜1599]安土桃山時代武将加賀藩主前田氏の祖。尾張の人。幼名千代織田信長従い各地戦功をたてた。のち、豊臣秀吉仕え五大老一人として、秀頼の後見託された。


前田利家

作者大栗丹後

収載図書戦国武将まんだら秘本三十六人
出版社春陽堂書店
刊行年月1999.8
シリーズ名春陽文庫


前田利家

作者海音寺潮五郎

収載図書武将列伝 戦国爛熟新装版
出版社文藝春秋
刊行年月2008.5
シリーズ名文春文庫


前田利家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 22:25 UTC 版)

前田 利家(まえだ としいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大名加賀藩主・前田氏の祖。豊臣政権五大老の一人。俗に「加賀百万石の祖」とも称されるが、実際に前田家が百万石を超えるのは利長利常ら利家の息子たちの世代からである。


注釈

  1. ^ 15,6点から20点ほど確認されている前田利家画像の中でも、古くからよく知られた肖像画。中世より加賀の海に関わる豪商で、江戸時代に宮腰町々町年寄を務めた中山家に伝来。同家は、天正11年(1583年)における利家の金沢入国時に先導をしたとされ、本図もこの時賜ったと伝えられる(村上尚子「前田利家画像に関する基礎的調査」『石川県立美術館紀要』第19号、2009年4月30日、pp.12-13。なお同論文は、利家画像を網羅的に掲載・解説している)。
  2. ^ 『加賀藩史料』によると、信長の伯父津田孫三郎信家を烏帽子親としてその偏諱を受けたとある。なおこの信家は岩倉城主・織田信安の子・織田信家と思われるが、伯父ではなく信長の従兄弟(叔母の子)であり、信長の伯父・津田孫三郎(織田信光)と混同した誤りであると推定される。

出典

  1. ^ 岩澤 1988.
  2. ^ 桑田忠親『豊臣秀吉研究』角川書店、1975年。 
  3. ^ a b 岩澤 1988, p. 292.
  4. ^ 花ヶ前 2001, p. 11, 「前田利家とその時代」.
  5. ^ a b 花ヶ前 2001, p. 12, 「前田利家とその時代」.
  6. ^ 花ヶ前 2001, p. 93, 木越祐馨「前田利家と一向一揆」.
  7. ^ 花ヶ前 2001, p. 75, 見瀬和雄「前田利家の領国経営」.
  8. ^ 高柳光寿『戦史ドキュメント 賤ヶ岳の戦い』学習研究社、2001年1月。ISBN 4059010251 
  9. ^ 瀬戸薫「金沢城と前田利家」『加能史料研究』597号、2008年。 (所収:大西 2016
  10. ^ 大西 2016, p. 14-16, 「織豊期前田氏権力の形成と展開」.
  11. ^ 国書刊行会『史籍雑纂. 第二』「当代記」
  12. ^ 花ヶ前 2001, p. 43, 宮本義己「前田利家と豊臣秀吉」.
  13. ^ 宮本義己「豊臣政権下における家康の危機」『大日光』67号、1996年。 
  14. ^ 村川浩平「羽柴氏下賜と豊臣姓下賜」『駒沢史学』49号、1996年。 
  15. ^ 岩澤 1988, p. 184.
  16. ^ 岩澤 1988, p. 185.
  17. ^ 千葉一大 著「豊臣政権と北奥大名南部家」、山本博文・堀新・曽根勇二 編『偽りの秀吉像を打ち壊す』柏書房、2013年、92頁。 
  18. ^ 瀬戸薫「前田利家と南部信直」『市史かなざわ』5号、1999年。 
  19. ^ 矢部健太郎「太閤秀吉の政権構想と大名の序列」『歴史評論』640号、2003年。 のちに矢部健太郎『豊臣政権の支配秩序と朝廷』吉川弘文館、2011年。 に所収
  20. ^ 上杉家への代替地は東蒲原。のちに藤田信吉が津川城に入る。(『管窺武鑑』上杉博物館『国宝 上杉家文書』など)
  21. ^ 宮本義己「徳川家康の豊臣政権運営―「秀吉遺言覚書」体制の分析を通して―」『大日光』74号、2004年。 
  22. ^ 三池純正『敗者から見た関ヶ原合戦』洋泉社、2007年、68-69頁。 
  23. ^ 三池純正『義に生きたもう一人の武将 石田三成』宮帯出版社、2009年、97頁。 
  24. ^ a b 岩澤 1988, p. 283.
  25. ^ 岩澤 1988, p. 287-288.
  26. ^ 乃至政彦戦国男色の俗説-知られざる「武家衆道」の盛衰史-』洋泉社、2013年http://blog.goo.ne.jp/naishi_masahiko/e/2bc08916895cd7d999454386065e6224 
  27. ^ 花ヶ前 2001, p. 45-47, 宮本義己「前田利家と豊臣秀吉」.


「前田利家」の続きの解説一覧

前田利家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/30 05:41 UTC 版)

白兵武者」の記事における「前田利家」の解説

秀吉親友名手で正之進のリハビリ付き合ううちに心を通わせていく。

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前田利家(まえだ としいえ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 08:37 UTC 版)

風が如く」の記事における「前田利家(まえだ としいえ)」の解説

宝物火鼠の皮衣」を担当

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前田利家

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花の慶次」の記事における「前田利家」の解説

前田家治め大名かつては槍の又左」と称されるほどの猛将だったが、作中1580年代中盤以降)ではプライドばかり高く周囲を気にする小心者であり、慶次と対比して器量の狭い人物として描かれている。そろばんトレードマークであり、それは別のゲームなどにも流用された。「俺は今まで誰からも好かれた事がない」と自認しており、万人から愛される次に嫉妬する同時に自身地位を脅かす最大の内敵と恐れている。

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前田利家

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徳川家康 (山岡荘八)」の記事における「前田利家」の解説

通称加賀大納言幼名千代最初織田家家臣

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前田利家

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新史太閤記」の記事における「前田利家」の解説

織田家の武将若年の頃から多く戦功立て織田家きっての武辺者として知られる政治的な才智乏しいが、無骨な武人であるだけに朴訥性格信義篤い秀吉とは少壮の頃から中が良く織田家譜代出身ありながら秀吉出自偏見持たず無二の親友同士として相契った

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前田利家

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二流の人 (小説)」の記事における「前田利家」の解説

足軽時代からの秀吉親友で、助け合って立身出世した豊臣天下というただ現実現象守ろうという穏健派保守的な平和愛好癖がある。理知的でなく常識家。

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前田利家

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清須会議 (小説)」の記事における「前田利家」の解説

勝家与力通称千代上司勝家好ましく思う一方、かつて隣人だった秀吉にも友情感じており、両者の対立心を痛めている。賢さ純真さ兼ね備える寡黙一本気人物秀吉曰く、「俺にはない部分だけでできているような男」。

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前田利家(声:高木渉)

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決戦III」の記事における「前田利家(声:高木渉)」の解説

織田家家臣傾奇者という設定で口が少々荒い。例「命が惜しけりゃどきやがれ!!」「ざっとこんなもんよ!!」など。これらの言動尊敬する青年期信長真似をしているからである。振るい臆することを知らない猛者主な兵種槍足軽騎馬を得意とするちなみに初期は目に隈取り入っているが、4章の京入りからそれが無くなる。武将系統は「猛将」。

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前田利家(まえだ としいえ)

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テンカイチ 日本最強武芸者決定戦」の記事における「前田利家(まえだ としいえ)」の解説

織田家老中一人宝蔵院胤舜後援者

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前田利家(まえだ としいえ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)

センゴク」の記事における「前田利家(まえだ としいえ)」の解説

通称は又左衛門羽柴家とは家ぐるみの交流があり互いに藤吉どん」「又左どん」と呼び合う仲。物語冒頭にて成政と母衣衆赤母衣衆筆頭登用され長篠の戦いでは鉄砲奉行務める。その後は、柴田勝家寄騎として北陸方面侵攻中。

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前田利家(戦国鎧メカ:紫槍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 03:52 UTC 版)

婆裟羅2」の記事における「前田利家(戦国メカ:紫)」の解説

45歳幼名千代赤母衣衆筆頭で「槍の又左」の異名持ち戦場では姿を見ただけで敵兵震え上がったという。人とは異な才能を非常に愛し独特の美のセンスを持つため織田家の中で異彩を放つそれゆえ異能放つ秀吉とは仲が良く藤吉郎」、「千代」と呼び合う仲である。その仲の良さ佐々成政腹を立ててよく噛み付いてくるが、利家自身相手にしていない幼少から信長小姓として仕えるが、若い頃信長同朋衆を斬ってしまい織田家追放されその時陰日向尽力してくれた柴田勝家森可成二人を「おやじ殿」と呼んで慕っている。史実通り傾奇者だが、むしろオネェ系に近い。

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前田利家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 17:41 UTC 版)

関ヶ原 (小説)」の記事における「前田利家」の解説

家康に次ぐ五大老重鎮で、北陸領する大大名。秀吉とは織田家将校であった頃からの親友同士であり、秀吉篤実情義篤いこの友人大身させ、潜在的な脅威として恐れ家康牽制役として常に遇し、秀頼の後見頼んで息を引き取った三成も最も恃みにしていた人物であったが、しかし老衰甚だしく秀吉の死の翌年後を追うようにして世を去る。

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