木下氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/26 01:55 UTC 版)
木下氏(きのしたし)は、武家・華族だった日本の氏族。系譜の異なる諸家があるが、豊臣秀吉およびその妻高台院(北政所)の一族が最も著名。同家は木下藤吉郎(秀吉)が戦国武将として出世し、1573年に羽柴に改姓し、天下人となった後の1586年に豊臣の本姓を与えられた[1]。高台院の実家杉原氏も縁戚の家臣として木下や羽柴への改姓を許されるとともに大名に出世したが、大坂夏の陣で豊臣宗家(羽柴宗家)が徳川氏に攻め滅ぼされた後には羽柴姓から木下姓に戻させられて備中国足守藩主家、豊後国日出藩主家に封じられ、明治維新後には両家とも華族の子爵家に列した[2]。
出自
安土桃山~江戸時代
注釈
出典
- ^ 世界大百科事典 第2版『木下氏』 - コトバンク
- ^ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)『木下氏』 - コトバンク
- ^ 『尾張群書系図部集』三巻、p.634[要文献特定詳細情報]
- ^ 中興武家系図(宮内庁所蔵)
- ^ 小和田哲男『北政所と淀殿 豊臣家を守ろうとした妻たち』吉川弘文館、2009年、9-14頁
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『豊臣氏』 - コトバンク
- ^ 桑田忠親著、日本歴史学会編『桃山時代の女性』吉川弘文館、1972年、70頁
- ^ 朝日日本歴史人物事典『木下定家』 - コトバンク
- ^ a b 池田洋子「名古屋市秀吉清正記念館蔵《高台院(おね)画像》に関する考察ノート」『名古屋造形大学紀要』第18号、2012年、25頁。
- ^ 新田完三 1984, p. 39/683.
- ^ 新田完三 1984, p. 683.
- ^ 木下家19代当主・木下崇俊「大坂の陣で殺された豊臣秀頼の遺児が生きていた?」(週刊朝日2016年1月19日)
- ^ 前川 1981, p. 85.
- ^ 新田完三 1984, p. 41-42/685.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 152.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 147/152.
- ^ a b 松田敬之 2015, p. 570.
- ^ 松田敬之 2015, p. 568.
- ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 411.
- ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 360.
- ^ a b c d 太田 1934, p. 1923.
- ^ a b c d e f g h i j k 太田 1934, p. 1924.
- ^ 新編武蔵風土記稿 南入曽村.
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