木下俊方
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文政13年10月2日(1830年11月16日) |
死没 | 嘉永7年7月2日(1854年7月26日) |
改名 | 豊丸、大作、俊方 |
戒名 | 賢良院 |
墓所 | 東京都港区高輪の泉岳寺 |
官位 | 従五位下主計頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶、家定 |
藩 | 豊後日出藩主 |
氏族 | 木下氏 |
父母 | 木下俊敦、美佐 |
兄弟 |
俊方、毛利元純、俊程、俊愿、 柳生俊順正室、峯子、伊東祐帰正室ら |
妻 | 稲垣長剛娘 |
子 | 俊程 |
木下 俊方(きのした としかた)は、豊後国日出藩14代藩主。官位は従五位下、主計頭。幼名は豊丸、大作。正室は稲垣長剛娘。
経歴
弘化3年(1846年)、将軍徳川家慶に拝謁する。弘化4年(1847年)8月16日、父の隠居により家督を継ぐ。しかし、生来から病弱だったため、藩政は隠居した父と家老たちによってなされた。同年12月、従五位下・主計頭に叙任する。嘉永7年(1854年)7月2日、江戸で死去し、跡を弟の俊程が継いだ。法号は賢良院。墓所は東京都港区高輪の泉岳寺。
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