木下俊泰とは? わかりやすく解説

木下俊泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/15 09:41 UTC 版)

 
木下俊泰
時代 江戸時代中期
生誕 享保14年4月21日1729年5月18日[1]
または享保11年(1726年)4月[2]
死没 明和5年7月29日1768年9月9日
改名 千吉、俊泰
別名 内蔵助
戒名 霊詳院
墓所 東京都港区高輪泉岳寺
官位 従五位下大和守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家重家治
豊後日出藩
氏族 木下氏
父母 父:木下俊量、母:黒川氏
養父:木下俊能
兄弟 量道、俊在俊監俊能俊泰相良長興正室、久留島光通正室、木下栄俊正室、大久保忠肥正室、松平義著正室、横山清章正室ら
土岐頼稔の娘
養子:俊胤於久
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木下 俊泰(きのした としやす)は、豊後国日出藩9代藩主。官位は従五位下、大和守。幼名は千吉。通称は内蔵助。

経歴

寛延元年(1748年)、先代藩主で兄の俊能が死去したため、その跡を継いだ。公家の接待役を務めたという。俊量の男児2人はいずれも早世していたため、同族の備中足守藩主・木下利忠の娘を養女とし、これに宇都宮藩主・戸田忠余の息子俊胤を結婚させ養嗣子とした。

明和5年(1768年)7月29日、40歳(または43歳)で死去し、跡を俊胤が継いだ。法号は霊詳院。墓所は東京都港区高輪泉岳寺

系譜

父母

正室

養子、養女

脚注

  1. ^ 『日出町誌 史料編』日出町、1986年、p.644。
  2. ^ 木下俊泰」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社https://kotobank.jp/word/%E6%9C%A8%E4%B8%8B%E4%BF%8A%E6%B3%B0コトバンクより2025年5月15日閲覧 




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