木下利房
木下利房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 22:47 UTC 版)
木下 利房(きのした としふさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて武将、大名。備中国足守藩の第2代藩主[3]。官途は従五位下宮内少輔。初名は勝義。諱は惟俊とする史料もある[2]。
- ^ a b c d e 高柳 & 松平 1981, p. 84.
- ^ a b 若狭関連の資料による。『福井県史』 (※このサイトでは兄・勝俊の伏見城従軍が間違って『西軍』と記載されていることに注意)
- ^ 兄勝俊を、同時ではなく、先んじる足守藩主と数えると第3代目にあたる。
- ^ a b c d e f 堀田 1923, p. 171.
- ^ 『寛政重修諸家譜』『尾張群書系図部集』『木下家譜』など。
- ^ 『木下家譜』では、利房、延俊、俊定、秀秋、出雲守、僧は雲照院を生母とし、勝俊と秀規を異母とする。『寛政重修諸家譜』等諸系図では、利房、延俊、秀秋だけを雲照院が産んだ同母兄弟とし、残り全てを異母兄弟とする。
- ^ 史料綜覧11編913冊241頁.
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