雲照院
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雲照院(うんしょういん、? - 寛永5年8月18日〈1628年9月5日〉)は、戦国時代から江戸時代初期の女性。杉原家次の娘で木下家定の正室。名はあこ、もしくは、おあこ。小早川秀秋らの母。法名は雲照院殿齢岳永壽大禅定尼。
- ^ 家定にはこの他に木下秀規という子がいたが、大坂の陣に参加して戦没したため、系図から除かれている。
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「 問かしな泪ばかりをつゝみもて今はよそなる袖のたち花、とへかしなともにつゝみしうれしさよ今はよそなる袖の立ばな 」 —長嘯子『挙白集』
- ^ 息子・木下延俊が家臣に記させた日記に、延俊が帰省した実家での食事や入浴の様子が記されている。以下、その日記より。
:「雲照院様御見廻、御ふろ御座候。」(四月七日の条)
:「御風呂へ雲照院さま御入り成され候。御風呂上りの御振舞い御座候(御馳走接待)。」(六月二十八日の条)
一方、日記には延俊から彼女へたばこを贈ったことについても記されている。 - ^ なお、勝俊、利房兄弟は若狭武田氏の武田元明・京極竜子の息子だという説があるが、少なくとも両者の生年では勝俊の親にはなりえない。おあこは父親の年齢から推測するに、1540年代末から1550年代前半までに産まれたものと思われ、利房が初めての子だとしても確実に1560年より前の生まれとなり、おそらく享年は70代と思われる。
- 1 雲照院とは
- 2 雲照院の概要
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