慶長日記とは? わかりやすく解説

慶長日記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 05:45 UTC 版)

木下延俊」の記事における「慶長日記」の解説

延俊は通称『慶長日記』と呼ばれる日記残しており、慶長18年1613年)の元旦から大晦までの1年間1日欠かさず記されたもので(実際記載は延俊本人ではなく家臣祐筆)、当時大名の生活や翌年迫った大坂の陣に至るまでの歴史的背景詳しく知ることができる。そこには、江戸で第2代征夷大将軍徳川秀忠より馬や鷹狩り獲物拝領し、そして本多正信幕府重臣古田織部蜂須賀至鎮らとも面会、また駿府では初代将軍だった大御所徳川家康謁見している記述などがある。京都では叔母高台院より贈り物をもらい、さらに訪れた実家では母・雲照院食事入浴記述もある。ほか、織田有楽およびお忍び大阪豊臣秀頼にも御目通りしている記述見られるまた、この中には新免無二登場し、延俊に兵法教えたことも記されている。

※この「慶長日記」の解説は、「木下延俊」の解説の一部です。
「慶長日記」を含む「木下延俊」の記事については、「木下延俊」の概要を参照ください。

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