歴史的背景(耳川以前の状況)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 22:59 UTC 版)
「土持親成」の記事における「歴史的背景(耳川以前の状況)」の解説
県土持氏は、日向国北部縣(あがた)を中心に栄えた平安時代よりの名門である。室町時代では日向守護職を兼務していた薩摩国島津氏と連携して勢力を保ってきた。しかし、水島の変を機に九州探題・今川了俊の命により日向伊東氏と共に島津討伐を行うことになり、島津氏との連携は断たれた。その後、事実上、日向守護職が空位になると、土持氏はその座をめぐって伊東氏と争うも、結果的に敗北し所領のかなりの部分を失った。以後、失領の回復が県土持氏の宿願となり、親成もその例に漏れなかった。 親成は当初、島津氏とは距離を置き、伊東氏と戦う上で後背となる豊後国の大友宗麟に対して娘を人質に出すなど大友氏に臣従した(旧記雑録後編十)。しかし、伊東氏の衰退に伴う島津氏の日向への本格的進出や、大友家中の混乱に加え、県土持氏が宇佐八幡宮の神官を出自とすることもあり、親島津・反大友に傾斜していく。
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