歴史的経緯と主要人物とは? わかりやすく解説

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歴史的経緯と主要人物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 18:59 UTC 版)

ゲシュタルト心理学」の記事における「歴史的経緯と主要人物」の解説

ドイツ心理学には、ベルリン学派あるいはフランクフルト/ベルリン学派呼ばれる学派存在していた。これは主要な心理学者集っていた二つ大学の名前を指している。マックス・ヴェルトハイマープラハ大学法学学び卒業した後、ベルリン大学およびヴェルツブルク大学心理学研究するようになったプラハ大学でエーレンフェルスの講義ベルリン大学シュトゥンプ講義聴いたヴェルトハイマー1912年運動の知覚に関する画期的な論文運動視の実験的研究』を発表した。(これはワトソン行動主義宣言前年発表したことになる。) ヴェルトハイマーによる実験では、当時フランクフルト大学助手をしていたケーラーとコフカおよびコフカ夫人の3人が被験者となった。細い線と太い線を使うと線が拡張するように見えたり水平な線[ - ]と45度の線 [ / ]を連続して提示すると線が角運動しているように見えたりした。どちらも実際に物理的に存在しない動き見えるので、これを仮現運動とかファイ現象呼んだ。(φは「現象」を意味するドイツ語Phänomen頭文字)。 それ以前ヘルムホルツヴントなどは仮現運動原因として眼球運動との連合考えたが、それに対しヴェルトハイマーは、真ん中刺激左右同時に分かれる刺激図形実験用いて眼球運動仮現運動必要条件ではないことを実証したまた、グラーツ学派は「先に感覚があってゲシュタルト質がその感覚データ付与される」と考えていたが、ヴェルトハイマーはそうではなく最初から感覚のなかにゲシュタルト組み込まれていると論じた。コフカは後の1935年ゲシュタルトと体制化はほぼ同じ意味であると論ずようになった人間刺激を単純で明快な方向へと知覚しようとする傾向があり、これをヴェルトハイマープレグナンツの法則呼んだヴォルフガング・ケーラーは、第一次大戦中、アフリカ北西カナリア諸島テネリフェ島にある類人猿研究所チンパンジー用いた実験行っていた。チンパンジー新しい方法天井から吊り下がったバナナを取ることを観察し試行錯誤学習対比して、これを洞察学習呼び研究成果を『類人猿知恵試験』という本にまとめた(19171921)。ケーラープレグナンツの法則成立する背景には、それと類似した脳の中枢過程があると考えた一例挙げると、ある空間的構造そのように体験され知覚されるのは脳内基盤となる過程機能的に対応しているからだ、としている。このような考え方心理物理同型説(psychophysical isomorphism)と呼ばれている。 クルト・レヴィン1930年代ヴェルトハイマーら3人と一緒に研究したことや、ベルリン大学学位をとった関係でゲシュタルト心理学者のひとりとされている。レヴィン体験通じて構造化される空間興味示し、それをやがて生活空間と呼ぶようになったケーラー心理物理的な場理論考えていたのとは対照的にレヴィン純粋に心理的な理論考えた。これはトポロギー心理学トポロジー心理学Topologie psychology)との名称で知られるようになったTopologieとは位相幾何学という意味である。 レヴィンゲシュタルト心理学人間個人だけでなく集団行動にも応用した集団内における個人行動は、集団エネルギー場、すなわち集団がもつ性質やどんな成員がいるのかといったことなどによって影響を受けると考え、これによりグループ・ダイナミックス集団力学)を生み出した。このグループ・ダイナミックスはやがて感受性訓練などにも応用され臨床的分野へと広がっていった。また、レヴィンは、米国渡ってから政治的社会的問題にも関心示し実践的な方法としてアクション・リサーチ提唱し社会心理学などにも影響与えたベルリン学派主要な4人は全員米国へ渡り、その地で亡くなっている。1933年ドイツナチス政権を握るとユダヤ人学者教壇から追放された。当時15人いたドイツ心理学教授のうち5人が失職した。コフカは米国スミス大学教授として晩年までゲシュタルト心理学普及努めたなかでも1935年に英語で発表された『ゲシュタルト心理学原理』は網羅的なものであり、ゲシュタルト心理学知覚の理論とどまらないことを人々広く知らしめた。ケーラーユダヤ人ではなかったが、職場ベルリン大学への政府介入を嫌い1935年米国亡命したレヴィン1933年海外講義を行うために旅行出ており、日本からロシアへ旅の途中でナチス政権について聞きドイツ戻らず米国亡命したゲシュタルト心理学ドイツ日本大きな潮流となった米国ではドイツ日本ほどではなかった。というのは主要な用語概念が英語という外国語ではうまく表現できず、曖昧なものと考えられたことなどが挙げられる結局ゲシュタルトやプレグナンツという用語も英語ではなくドイツ語のまま使用された。だが、自身ゲシュタルト心理学者と呼ぶ者は少ないものの、ゲシュタルト心理学接近したエドワード・トールマンがのちの認知心理学成立与えた影響や、グループ・ダイナミックス社会心理学や行科学発展果たした役割考慮すると、むしろゲシュタルト心理学アメリカ主流心理学流れ変えたのだと言ってもよさそうである。 フォン・エーレンフェルス(Christian von Ehrenfels 1859年 - 1932年) クルト・ゴルトシュタイン(Kurt Goldstein 1878年 - 1965年マックス・ヴェルトハイマーMax Wertheimer 1880年 - 1943年):『運動視の実験的研究』(1912)、『生産的思考』(1945クルト・コフカKurt Koffka 1886年 - 1941年):『発達心理学』(1921ヴォルフガング・ケーラーWolfgang Kohler 1887年 - 1967年):図形残効、『類人猿知恵試験』(1917)、『物理的ゲシュタルト』(1920) クルト・レヴィンKurt Lewin 1890年 - 1947年):グループダイナミックス感受性訓練トポロジー心理学 フリッツ・ハイダーFritz Heider 1896年 - 1988年) ヴォルフガンク・メッツガー(Wolfgang Metzger 1899年 - 1979年ルドルフ・アルンハイムRudolf Arnheim 1904年 - ) ソロモン・アッシュSolomon Asch 1907年 - 1996年ガエタノ・カニッツァGaetano Kanizsa 1913年 - 1993年中島祥好(Yoshitaka NAKAJIMA Kyushu University 1954年 - )

※この「歴史的経緯と主要人物」の解説は、「ゲシュタルト心理学」の解説の一部です。
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