政権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/11 09:37 UTC 版)
政権(せいけん)とは、国の政治機構を動かす政治権力のことである。議院内閣制のもとでは、選挙を通じて議会で多数を得た政党が政権を担当する[1]。
なお、同じ漢字圏の中国語で「政権(中: 政权)」と書いた場合、「レジーム(Régime・Regime)」の中国語訳であり、日本語における「政権」と意味が異なることに注意、また、現在日本の政権は自由民主党と公明党による自公連立政権である。
概要
政権は政治を実行する能力であるが、多くの場合は行政権を中心とする権力を指す。ただし、単に行政権のみにとどまらず、立法権も含めた権力を指す場合が多い。
政権(厳密には行政権)を担当する政党を与党という。「政権与党」という言葉も聞かれる。議院内閣制の場合、一般的には議会で多数をしめる政党が政権を担当し与党となる[1]。大統領制の場合には、議会の少数党であっても大統領が所属する政党が行政権を担当するため、与党である。議院内閣制の国では、立法権を持つ政党が行政権も担当している[2]。
なお、政権を担当していない政党は野党とよばれ、政権を監視し権力の濫用を抑えることが期待されている。野党が存在しない、もしくは極端に小規模な野党しか存在しない場合は政権が拡大し、独裁政権が誕生しやすい。
政権という言葉は、政府とほぼ同義で使われる場合もある[3]。
政権保持者
民主主義国家においては、政治上の権力は国民に属するが、一般的には国民が政権を保持しているとは言わない。多くの場合は国家元首もしくは首相を中心として、閣僚や与党が政権を保持すると認識される。国家元首や首相を輩出する政党に変更があった場合、「政権交代」とよばれ、政治上の重要な出来事として扱われる。二大政党制や多党制ではしばしば政権交代が行われる。
戦後の日本はおおむね自由民主党による一党優位政党制の国家であり、1955年から1993年まで政権交代は行われなかった。
日本
現在2024年10月7日において日本の政権は自由民主党・公明党による連立政権であり、現在の内閣は第2次石破内閣。
また自由民主党は戦後結党してから1993年まで政権交代がなかった。自由民主党が政権を失ったのは1993年の細川政権、1994年の羽田政権、そして2009年鳩山政権、2010年菅直人政権、2011年の野田政権である。
政権担当能力
議会制民主主義の下では、国民が各政党の掲げる政策をもとに選挙によって政権を選択するので、広義には、政権獲得時に選挙で掲げた政策を実行する能力のことを意味する。狭義には、国民生活に支障を及ぼすことなく、無政府状態にならない程度に最低限の治安維持、国防を遂行する能力のことであるといえる。
日本で政権交代がほとんどなされない理由として、与党側からは野党が政権担当能力を有しないことが原因と指摘されることが多いが、近年は野党内にもかつて政権中枢に参与していた顔ぶれも存在している為、一概に政権担当能力の有無のみを以って政権交代が行われない理由を論ずることは難しくなっている。
脚注
出典
- ^ a b 『政治・経済用語集』(山川出版社)
- ^ 西尾勝 『行政学』(新版)有斐閣、2001年。ISBN 9784641049772。
- ^ 日本大百科全書「政権」
関連項目
政権
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李氏朝鮮の建国以来、政治の中心であり絶対的な権力を持ったのは国王であり、王は王位こそ継げる完全な世襲であったが、背後で実際に王を動かしているのが朝廷であり外戚と呼ばれる王妃を輩出する有力な両班であった、この構図は李氏朝鮮が終わるまで脈々と受け継がれた。さらにその外戚には党争が深くかかわっていた。 李氏朝鮮の歴史は党争の歴史でもあり、党争は朝鮮王朝期の最大の特色といわれるが、その原因については諸説があって一定した解釈はない。政権交代は対立する派閥の虚偽の謀反を王に通報で粛清という形が多く、多くの獄事が起こった。主な理由は、王権が微弱で十分に官人たちを抑圧できなかったこと、党争においては相手の政策的能力の指摘よりも道徳的欠陥や問題点を叱責することに集中するなど当時国教的位置を占めていた儒教、特に朱子学のもつさまざまな性格が政争にからんで利用され、事態を一層複雑にしていることであろう。党争の前駆をなすものとして通常指摘されているのは燕山君4年(1498年)に起った戊午の士禍 (世祖の即位をめぐる史論問題から発展した官人・儒林の対立抗争) や甲子の士禍 (1504年) 、乙巳の士禍 (1546年) などという一連の士禍があげられる。いわゆる士禍時代は儒林内部の争いの性格が強いが、宣祖1年 (1568年) 宣祖が即位してから党争は政治色を深め、党派の対立も露骨になった。すなわち同8年沈義謙を中心とする西人派と金孝元を中心とする東人派が対立し、東人はさらに分れて南人、北人となり、これを西人と合せて三色 (色は種類という意味) と呼ぶにいたった。この党争は光海君14年(1622年)までは東人が、仁祖1 (1623年) 年から顕宗15年 (1674年)までは西人が、というように相互に他を排して政権を争った。東西に分れてからほぼ1世紀、粛宗 (在位1675~1720) 代には老論、小論、南人、北人の四色となり、粛宗6年(1680年)までは南人が主流を占め、同 20年以後は西人がこれに代り、さらに西人は老論、少論に分れて対立するという有様で、一時英祖1年(1725年)に改革を試みたが功なく、朝鮮王朝末期まで持越された。 木村誠は「つねに中国の外圧を受けながら民族的成長をとげた朝鮮諸国」を指摘しており、義江彰夫は、日本の公武二重王権と朝鮮を比較して、双方ほぼ同時期に武人が政権の中枢に登場しながら、朝鮮では武人が独自政権を構築することなく、中央政権内部において実権を掌握するにとどまったことを「不断の外圧の存在の有無がこの分岐の決定的な要因であった」と指摘している。
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政権
「政権」の例文・使い方・用例・文例
- 共和党政権
- 女性の参政権に対する抵抗をなくすまでには長い歳月がかかった
- 民主政権
- 政権を握っている
- その政党は長い間政権を握っている
- その戦争中,軍部が政権を握った
- チャーチル政権
- サリナス政権はエヒード制を終わらせた。
- 敵国に協力的な政権
- 3党は非共産党員の連合政権を作ることで合意した。
- 急進的な婦人参政権拡張論者のグループ
- 新政権は米国の国際関係の地図を書きかえるだろう。
- 政権交代を機に投資家のストックマインドは高まった。
- ヨーロッパ議会は、ヨーロッパ連合とアメリカとの間で交渉が行われてきた秘密協定案を反対665票対賛成11票という投票結果により否決し、ブッシュ政権に「ノー」と答えた。
- その二つの政党が連立政権を樹立する可能性は、ほぼゼロだ。
- この法律は女性に参政権を与えた。
- だが、レーガン政権と最高裁判所に潰される前でさえ、OSHAは茶番であった。
- 婦人参政権を認めるように憲法が修正された。
- 彼の政権はきっと崩壊する。
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