諸説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/14 16:21 UTC 版)
長兵衛とおきんの死亡時期には異説があり、長兵衛が水野に謀殺されたのが1650年5月13日(慶安3年4月13日、享年28)、おきんが亡くなったのは、さらにその60日ほど前の1650年3月16日(慶安3年2月14日、享年32)とするものである。同説を採用する『実録 江戸の悪党』の山下昌也によれば、おきんの父・惣右衛門が、山脇家の菩提寺である源空寺に、自らよりも先立った娘夫婦を弔い、地蔵菩薩を彫った2基の墓を建てたという。戒名は善香寿散信女(ぜんこうじゅさんしんにょ)、とするのは三田村鳶魚であり、三田村によれば、同寺の古い記録にあるという。 源空寺は同墓の建立当時には湯島に所在したが、1657年3月2日(明暦3年1月18日)に起きた明暦の大火以降、現在の東上野に移転した。
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