北条貞時とは? わかりやすく解説

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ほうじょう‐さだとき〔ホウデウ‐〕【北条貞時】

読み方:ほうじょうさだとき

[1271〜1311]鎌倉幕府武将第9代執権北条時宗の子父の死により、14歳執権就任当時伯父安達泰盛権勢振るっていたが、内管領就いた平頼綱がこれを排除その後専制体制敷いた頼綱を討伐し、自ら実権掌握した


北条貞時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 01:05 UTC 版)

北条 貞時(ほうじょう さだとき)は、鎌倉時代後期の北条氏一門の武将。北条氏得宗家当主、鎌倉幕府第9代執権(在職:弘安7年(1284年) - 正安3年(1301年))。


注釈

  1. ^ 理髪役は叔父の北条宗政烏帽子を持参する役目は安達泰盛が担ったこと等、他の担当者は『建治三年記』に明確に示されている(森茂暁もこれについて言及している[1])。
  2. ^ 二棟御所とは幕府の御所の南西部分にあたる二棟造の建物のことであり、「西侍」は北条泰時の元服時に御家人が祗候していた場所、また大伯父(泰時の嫡孫)・経時や父・時宗の元服が行われたことのある場所であった[3]
  3. ^ 将軍が目下の者の前におでましになること。『デジタル大辞泉』・『大辞林 第三版』等の国語辞典による。
  4. ^ 御簾中とは貴人の正妻を指して言った敬称として使われることが多いが、元々の語源としては常にの内側にいる貴人を指す(『デジタル大辞泉』等の国語辞典による)ため、この場合は将軍・惟康親王が簾の内側におでましになったと考えられる。
  5. ^ 北条泰時経時時頼時宗の元服の様子は『吾妻鏡』で確認することができる[2]
  6. ^ 角田の論文が出された後に、赤橋流北条氏北条久時久明親王北条守時守邦親王の偏諱を賜っていることが指摘されている[8]が、これは赤橋家が将軍を烏帽子親とする家系であったためであり、例外とみなす。
  7. ^ 紺戸 1979にはその事例が幾つか紹介されている。後述の偏諱を受けた人物の節も参照のこと。
  8. ^ ただし、安達泰盛の施策を自身が後見する得宗家の勢力を強化する意図があったとする見方もある[12]

注釈

  1. ^ a b 森茂暁「足利将軍の元服-足利義満より同義教に至る-」『中世 日本の政治と文化』思文閣出版、2006年。 
  2. ^ a b c d 山野 2012, p. 164.
  3. ^ 山野 2012, pp. 168–169.
  4. ^ a b 山野 2012, p. 169.
  5. ^ 細川重男本郷和人「北条得宗家成立試論」『東京大学史料編纂所研究紀要』11号、2001年。 
  6. ^ 細川重男「得宗専制政治の論理」『年報三田中世史研究』9号、2002年。 
  7. ^ 細川重男「飯沼大夫判官と両統迭立」『白山史学』38号、2002年。 
  8. ^ a b c 山野 2012, p.182 脚注(27).
  9. ^ 角田朋彦「偏諱の話」『段かづら』三・四、2004年、20-21頁。 
  10. ^ 永井 2003, p. 226.
  11. ^ 永井 2003, p. 9.
  12. ^ 五味文彦「得宗専制政治」『国史大辞典』 第10、吉川弘文館、1989年、313-314頁。 
  13. ^ 永井 2003, pp. 9–10.
  14. ^ 永井 2003, p. 11.
  15. ^ a b 永井 2003, p. 12.
  16. ^ 永井 2003, pp. 12–13.
  17. ^ 永井 2003, p. 39.
  18. ^ 新井孝重『護良親王:武家よりも君の恨めしく渡らせ給ふ』2016年 ミネルヴァ書房
  19. ^ 永井 2003, p. 40.
  20. ^ 細川重男『鎌倉政権得宗専制論』
  21. ^ 永井 2003, p. 43.
  22. ^ 永井 2003, pp. 51–52.
  23. ^ 永井 2003, p. 63.
  24. ^ a b 永井 2003, p. 68.
  25. ^ a b 永井 2003, p. 73.
  26. ^ a b 永井 2003, p. 74.
  27. ^ 細川 2011, pp. 132–133.
  28. ^ 細川 2011, pp. 142–145.
  29. ^ 永井 2003, pp. 67–68.
  30. ^ 永井 2003, p. 3.
  31. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 紺戸 1979, p.15系図ほか.
  32. ^ a b c d e f g 『結城市史 第四巻 古代中世通史編』結城市、1980年、297頁。 
  33. ^ 臼井信義 著「尊氏の父祖 ―頼氏・家時年代考―」、田中大喜 編『下野足利氏』戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第九巻〉、2013年、68頁。 
  34. ^ 「第3編 中世 I 鎌倉時代」『二本松市史 第1巻 原始・古代・中世・近世 通史編1』二本松市、1999年、233頁。 
  35. ^ a b c d 工藤氏一門。今野慶信 著「藤原南家武智麿四男乙麻呂流鎌倉御家人の系図」、峰岸純夫; 入間田宣夫; 白根靖大 編『中世武家系図の史料論』 上、高志書院、2007年。 
  36. ^ 江田郁夫 著「総論 下野宇都宮氏」、江田郁夫 編『下野宇都宮氏』戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第四巻〉、2011年、9頁。 
  37. ^ 鈴木由美「御家人・得宗被官としての小笠原氏 -鎌倉後期長忠系小笠原氏を題材に-」『信濃』第64巻第12号、信濃史学会、2012年12月。 脚注24。
  38. ^ a b 市村高男 著「鎌倉期成立の「結城系図」二本に関する基礎的考察 -系図研究の視点と方法の探求-」、峰岸純夫; 入間田宣夫; 白根靖大 編『中世武家系図の史料論』 上、高志書院、2007年、96-97頁。 
  39. ^ 松本一夫 著「総論 − 小山氏研究の成果と課題」、松本一夫 編『下野小山氏』戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第六巻〉、2012年、13頁。 
  40. ^ 今野慶信 著「鎌倉御家人葛西氏について」、入間田宣夫 編『葛西氏の研究』名著出版社〈第二期関東武士研究叢書3〉、1998年。 
  41. ^ 紺戸 1979, p. 21.
  42. ^ a b 服部英雄「中世小城の景観・海から考える」『中世肥前千葉氏の足跡 : 小京都小城の源流』佐賀県小城市教育委員会、2011年。 NCID BB05770990https://hdl.handle.net/2324/20437 
  43. ^ 群書系図部集 四』p.362 「大友系図」に「自貞時一字。」、p.372 「立花系図」に「北條相模守貞時加首冠。授諱一字。」、『入江文書』(『大分県史料10』所収)の「大友田原系図」に「相模守貞時加元服」とある。武家家伝_戸次氏にもこの旨の記載あり。
  44. ^ 樋川智美 著「鎌倉期武家社会における婚姻の意義 -小山・結城氏の事例による考察-」、荒川善夫 編『下総結城氏』戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第八巻〉、2012年、142-143頁。 


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