大友貞親とは? わかりやすく解説

大友貞親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/25 18:19 UTC 版)

 
大友貞親
時代 鎌倉時代
生誕 寛元4年(1246年
死没 応長元年7月19日1311年9月2日
改名 貞親→正温(法名)
官位 左近将監
幕府 鎌倉幕府
氏族 大友氏
父母 父:大友頼泰または大友親時
母:戸次時親(親時とも、頼泰の弟・戸次重秀の子)娘
兄弟 貞親
(一説には)泰能(早世)親時、親吉、北条宗頼
(または一説には)入田秀直、貞宗、野津師親、島津貞久
松野親義(松野太郎)
花押
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大友 貞親(おおとも さだちか)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武士御家人大友氏の5代当主。「貞」の字は幕府執権北条貞時から賜ったものと思われる。

永仁3年(1295年)、兄(または父)である親時が死去したため、父(または祖父)の命を受けて後を継いだ。嘉元3年(1305年)、得宗の北条貞時の命を受けて翌4年(1306年)、豊後国万寿寺を建立している。

応長元年(1311年)に66歳で死去し、家督は弟の貞宗が継いだ。法号は正温。





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