小早川政景とは? わかりやすく解説

小早川政景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/08 13:56 UTC 版)

 
小早川政景
時代 鎌倉時代
生誕 未詳
死没 未詳
別名 四郎[1]、美作四郎[1]
戒名 定心[1]
幕府 鎌倉幕府
氏族 土肥氏小早川氏
父母 父:小早川茂平[1]
兄弟 舟木経平[1]、経家、雅平[1]政景、赤川忠茂
千代鶴(小早川季泰の娘)
覚生尼、小早川景宗[1]、養子:小早川長政

小早川 政景(こばやかわ まさかげ)は、鎌倉時代中期の武将鎌倉幕府御家人竹原小早川氏の初代当主。小早川茂平の四男。

生涯

政景の父・小早川茂平承久の乱鎌倉方として軍功を挙げ、本拠地・安芸国沼田荘(広島県三原市)などの他に、新たに安芸国都宇竹原荘(広島県竹原市)の地頭職を得ていた。

正嘉2年(1258年)7月19日、政景は父・茂平より安芸国都宇竹原荘・梨子羽郷の一部などを分与され、 竹原荘に移り住み木村城を築城した。以来、竹原小早川氏はこの地を本拠地とし、代々受け継いでいくこととなる。

政景は京都にも在住し、幕府六波羅探題へ忠勤を励み、正応元年(1288年)、新たに備前国裳懸荘(岡山県瀬戸内市邑久町虫明)の地頭職を得ている。    正応2年(1289年)、子の小早川景宗・小早川長政(養子)と孫娘・姫石女の三人に所領を分配し、景宗に家督を譲るが、娘・覚生尼と景宗の家督争いとなり、家中は混乱することとなった。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 今井尭ほか編 1984, p. 340.

参考文献

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