小早川重景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/30 15:28 UTC 版)
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時代 | 鎌倉時代末期 - 南北朝時代 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 弥四郎[1]、出雲四郎左衛門尉[1] |
官位 | 左衛門尉 |
幕府 | 室町幕府 奉公衆 |
氏族 | 竹原小早川氏 |
父母 | 父:小早川祐景[1] |
兄弟 | 小早川重景、小早川万福丸、小早川福一、小早川景継(養子) |
子 | 小早川重宗[1]、小早川薬寿 |
小早川 重景(こばやかわ しげかげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。竹原小早川氏の第4代当主。室町幕府奉公衆。
生涯
建武5年・延元3年(1338年)2月、父・祐景が奈良で討死したため、同月、祖父・景宗より安芸国都宇竹原荘(広島県竹原市)・阿波国板西下荘(徳島県板野郡板野町)の一部・備前国裳懸荘(岡山県瀬戸内市邑久町虫明)などの所領を譲り受け竹原小早川家の家督を相続した。
康永4年(1345年)、京都四条堀川・油小路の屋敷地をめぐって千葉胤泰と裁判となり、四条隆蔭の裁定で勝訴している。
脚注
- ^ a b c d 今井尭ほか編 1984, p. 341.
参考文献
- 今井尭ほか編 『日本史総覧』3(中世 2)、児玉幸多・小西四郎・竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。全国書誌番号:84023599。ISBN 4404012403。NCID BN00172373。OCLC 11260668。ASIN B000J78OVQ。
関連史料
- 東京帝国大学文学部史料編纂所編 『大日本古文書』家わけ十一ノ一:小早川家文書之1、東京帝国大学、1927年。全国書誌番号:73018529。NCID BN04860811。OCLC 835258028。
NDLJP:1908791
- 東京帝国大学文学部史料編纂所編 『大日本古文書』家わけ十一ノ二:小早川家文書之2、東京帝国大学、1927年。全国書誌番号:73018529。NCID BN04860811。OCLC 834195954。
NDLJP:1908801
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