元寇とは? わかりやすく解説

げん‐こう【元寇】

読み方:げんこう

文永11年(1274)と弘安4年(1281)に、元のフビライの軍が日本攻めてきた事変蒙古来(もうこらい)。蒙古襲来。→文永の役弘安の役


元寇

作者鷲尾雨工

収載図書北条時宗―その弱冠の頃 鎌倉北条小説集
出版社トーコー企画
刊行年月2001.1
シリーズ名歴史文学名作


元寇

読み方:ゲンコウ(genkou)

作者 北原白秋

初出 昭和15年

ジャンル 長唄


元寇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/18 05:02 UTC 版)

元寇(げんこう)は、日本鎌倉時代中期の1274年1281年に、モンゴル帝国元朝)および属国高麗によって2度にわたり行われた対日本侵攻である。蒙古襲来とも呼ばれる。1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。




「元寇」の続きの解説一覧

元寇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 23:08 UTC 版)

日朝関係史」の記事における「元寇」の解説

13世紀高麗モンゴル帝国(のちの元)のクビライ服属したのち、日本に対してモンゴル帝国への服属迫った日本鎌倉幕府はこれを拒絶したため、高麗元に日本侵略提言し、元軍とともに日本攻撃した失敗終わった

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元寇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:32 UTC 版)

対馬」の記事における「元寇」の解説

鎌倉時代日本は、2度にわたる元(モンゴル帝国)とその属国高麗による侵略(元寇)を受けた対馬はその最初の攻撃目標となり、史上最大受難迎えることとなった1274年文永11年)、蒙古・漢兵25,000人、高麗兵8,000人および水夫等6,700人は、高麗建造した艦船900隻に分乗し10月5日佐須浦・小茂田浜に殺到した。この大軍対し宗助国一族郎党80余騎を率い迎撃したが、圧倒的な兵力差により全滅した。この受難小茂田浜神社伝えられている。『日蓮聖人註画讃』によると、上陸した蒙古高麗軍は、男を殺戮あるいは捕らえ、女は一ヶ所に集め、手に穴を開け、紐で連結し、船に結わえつけたという。これが対馬における文永の役である。 1281年弘安4年)に2度目日本への侵略弘安の役起こった元・高麗軍の陣容は、合浦現在の馬山市)より侵攻した蒙古・漢兵30,000人、高麗兵9,960人、水夫17,029人より構成される東路軍と、寧波より侵攻した南宋・漢兵を主力とした100,000人の江南軍であった弘安の役において『八幡愚童記正応本には、 其中に高麗兵船四五百艘、壱岐対馬より上りて。見かくる者を打ころしらうせきす、国民ささへかねて、妻子を引具し深山に逃かくれにけり、さるに赤子の泣こえを聞つけて、捜りもとめて捕けり。 と記されている。

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元寇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 13:45 UTC 版)

劉復亨」の記事における「元寇」の解説

至元11年1274年)、元の日本侵攻(元寇)に際し、左副都元帥として第一回目の侵攻文永の役)に従軍。『元史』左副元帥劉復亨伝では「(劉復亨は)征東副都元帥遷り、軍4戦船900艘を統率し日本征す。倭兵10万遇い、これを戦い敗った」とされている。 博多上陸後百道原・姪浜戦いにおいて負傷した。元側の記録高麗史によれば流れ矢負傷したという。日本側の記録八幡愚童訓によれば少弐景資敵軍大将射落としたが、捕虜証言でそれは大将軍流将公なる人物であった。これが劉復亨推測されている。この指揮官負傷により陣を乱した元軍は敗走した

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元寇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:44 UTC 版)

福岡市」の記事における「元寇」の解説

「元寇」も参照 しかしその反面他国から侵略被害にも遭っており、869年には新羅海賊博多湾侵入1019年には刀伊の入寇があり、博多は常に対外的な脅威曝されていた。その最大脅威は、宋を滅ぼしてユーラシア大陸のほとんどを支配した人類史最大帝国モンゴル帝国である。 高麗屈服させたモンゴル帝国クビライ日本服属求め時の鎌倉幕府がこれを拒否したことから、1274年モンゴル人漢人女真人高麗人などからなる4万人の元軍が襲来した文永の役)。10月5日対馬10月14日壱岐襲撃し平戸鷹島松浦党本拠全滅させた元軍は、10月20日百道原から博多湾上陸し激し地上戦展開された。しかし、赤坂の戦い鳥飼潟の戦い破れるなど苦戦強いられた元軍は、撤退決め夜間の撤退強行したため、撤退中に暴風雨を受け、甚大な損害被った幕府は、再度の元軍の襲来備え博多湾岸に約20kmにも及ぶ石築地築いた。この史跡元寇防塁」は現代にも残っており「防塁」という地名存在する。そして、1281年に元軍が襲来弘安の役)。博多湾現れた元軍は、防塁から上陸することを避け陸繋島である志賀島占領し博多への進出窺うが、日本側の総攻撃を受け大敗し壱岐島撤退した志賀島の戦い)。

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元寇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 18:30 UTC 版)

鎌倉幕府」の記事における「元寇」の解説

詳細は「元寇」を参照 時頼の死後得宗地位継いだのは子の北条時宗だった。時宗得宗となった前後1268年モンゴル帝国5代大ハーンクビライ高麗通して朝貢要求してきた。朝廷は対応を幕府一任し幕府回答しないことを決定西国防御固めこととした。1269年1271年にもモンゴルから国書届き朝廷返書送付提案したが、幕府当初方針どおり黙殺選んだ外交権幕府握っていたことを表す)。 モンゴルから国号改めた元は、文永11年1274年10月九州北部襲撃したが、鎌倉武士の頑強な抵抗遭ったため(赤坂の戦い鳥飼潟の戦い)、元軍は夜間強行撤退し帰還途中暴風雨受けて大損害を被った。これを文永の役という。幕府朝廷一体になって、国家鎮護に当たることとし西国警固を再強化するとともにそれまで幕府支配の及ばなかった朝廷側の支配地、本所一円地からの人員兵粮調達認められるようになった。これは幕府権力全国的に展開する一つ契機となる。さらに幕府は、警固強化する一方で逆に大陸侵攻する計画をたてたが、この計画途中で頓挫した第一次高麗征伐計画)。 元は弘安4年1281年)、九州北部中心に再び日本へ侵攻した。この時は2ヶ月近くにわたる日本軍頑強な抵抗遭い志賀島の戦い壱岐島の戦い鷹島沖海戦)、侵攻停滞していたところに台風により大被害を受ける。さらに日本軍による総攻撃受けて元軍は壊滅した御厨海上合戦鷹島掃蕩戦)。これを弘安の役という。前回襲来併せて元寇と呼ぶ。幕府大陸出兵して、反撃する計画を再びたてたが、この計画実行はされなかった(第二次高麗征伐計画)。 この間時宗非常事態への迅速な対処名目として、時間のかかる合議ではなく一門側近御内人という)らと専断政策決定ていったこうした中で、御内人トップである内管領次第権力持ち始め弘安期に内管領平頼綱と有力御家人安達泰盛拮抗していた。泰盛は、時宗理解得て幕府経済基盤充実を図るとともに御家人地位保証する政策実現しようとした。しかし、時宗1284年急死すると、翌1285年平頼綱は泰盛を突如襲撃殺害し、泰盛派の御家人らを討伐した(霜月騒動)。この事件により、得宗専制完成したとされるこの頃朝廷においては後嵯峨天皇以後皇位巡って大覚寺統持明院統2系統分立して幕府皇位継承調整求めた幕府両統迭立原則示して仲裁にあたるとともに内外の危機対応するために幕府朝廷に対しても「徳政」と呼ばれる政治改革要求した。これを受けて亀山上皇弘安9年1286年12月院評定徳政沙汰雑訴沙汰分割続いて伏見天皇正応6年1293年6月記録所組織改革行って政治組織刷新行って円滑な政務遂行図った。だが、皇位継承徳政実施過程において幕府との対立表面化するようになり、朝廷内に再び反幕府動き潜在化させる遠因となった

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元寇

出典:『Wiktionary』 (2021/08/13 13:34 UTC 版)

名詞

げんこう

  1. 13世紀当時中国支配していた元王朝及び朝鮮において元に服属していた高麗日本侵略した戦い

発音(?)

げ↗んこー

関連語

翻訳


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