キョセ・ダグの戦いとは? わかりやすく解説

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キョセ・ダグの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 06:28 UTC 版)

キョセ・ダグの戦い(キョセ・ダグのたたかい)は、1243年ルーム・セルジューク朝モンゴル帝国との間で行われた戦闘。アナトリア北部エルズィンジャンギュミュシュハーネ間のキョセ・ダー(キョセ・ダグ Köse Dağ)で行われ[1][2]、モンゴル軍の圧勝で幕を閉じた。なお本項目の名称の地名について、イブン・ビービー等のルーム・セルジューク朝の一次史料の表記に基づいて「キョセ・ダグ( كوسه داغ Kūsa Dāgh/Köse Daγ)」と表記する。




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キョセ・ダグの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 02:25 UTC 版)

ルーム・セルジューク朝」の記事における「キョセ・ダグの戦い」の解説

カイホスロー2世即位後、宮廷内のホラズム人有力者カユル・ハーンを殺害したため、ホラズム地方出身廷臣臣従拒んで反乱起こした1240年から1241年にかけて、ユーフラテス川流域でバーバー・イスハークというダルヴィーシュスーフィー修道僧)がトゥルクマーン指揮して宗教反乱起こした反乱宗教面以外に反貴族政治的な性質持ちルーム・セルジューク軍は反乱軍何度も敗れ一時カイホスロー首都コンヤから脱出する危機陥った反乱フランク人傭兵によって鎮圧され指導者のバーバー・イスハークは絞首刑処せられたが、この事件ルーム・セルジューク朝軍事力低下明らかに示していた。 1241年カイホスローアルトゥク朝有するアーミド現在のディヤルバクル)を占領し東方影響力拡大する。しかし、アーミド占領直後ルーム・セルジューク朝東方勃興したモンゴル帝国からの攻撃晒される1232年頃からモンゴル軍アナトリア偵察行っており、その時には大規模な戦闘発生しなかったが、1240年代より本格的な攻撃始まり1242年秋にエルゼルムがモンゴルによって陥落させられるカイホスローエルズィンジャン侵入したモンゴル軍迎撃するために親征を行うが、1243年6月26日ルーム・セルジューク軍はキョセ・ダグでバイジュ・ノヤン率いモンゴル軍大敗した(キョセ・ダグの戦い)。敗戦後抵抗することなくモンゴル降伏したスィヴァス殺戮免れたものの城壁兵器破壊されトカトカイセリ略奪受けたモンゴル軍によるアナトリア遠征は(おそらくは略奪目的として)バイジュ独断行われたものであり、戦後すぐにモンゴル軍アナトリア駐屯することは無かったが、モンゴル臣従誓ったルーム・セルジュークには毎年モンゴルへの貢納課せられた。臣従から間もなくアナトリア飢饉襲われ、危険を避けて黒海沿岸部地中海沿岸部に逃れる者が多く現れる1245年カイホスローモンゴル軍協力した小アルメニア王国懲罰親征を行う途上没し、跡をカイホスロー長子カイカーウス2世継いだ。このカイホスロー死についても、毒殺を疑う研究者がいる。

※この「キョセ・ダグの戦い」の解説は、「ルーム・セルジューク朝」の解説の一部です。
「キョセ・ダグの戦い」を含む「ルーム・セルジューク朝」の記事については、「ルーム・セルジューク朝」の概要を参照ください。

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