パガンの戦いとは? わかりやすく解説

パガンの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/07 06:06 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
パガンの戦い
戦争モンゴルのビルマ侵攻
年月日1287年
場所パガン
結果:元軍の勝利、パガン朝は滅亡
交戦勢力
パガン朝 大元ウルス
指導者・指揮官
チョウスワー エセン・テムル
戦力
10,000-40,000 7000
損害
不明 微少

パガンの戦いは、1287年モンゴル帝国大元ウルス)とビルマパガン朝との間で行われた戦闘。この戦闘をもってパガン朝は実質滅亡し、元軍はパガン朝の首都パガンとその領土のほとんどを一時的に占領した。

バモーの戦いに敗北し、首都パガンからエーヤワディー川デルタにあるパテインに退避していたナラティーハパテ王は、ここに至ってようやく元への降伏を決意し、僧ディサープラモクを大都に派遣した。しかし、王の行動は怯懦であると捉えられ、王は庶子の一人ティーハトゥーに毒殺されてしまう。その後、王の息子チョウスワー王が即位したものの、実権はシャン人3兄弟に握られていた。

クビライの孫、梁王エセン・テムルはこのパガン国内の政治的混乱に目を付け、大軍をエーヤワディー川流域に展開した。パガン領を進んだ元軍は首都パガンを攻撃、これを攻略した。これによってパガン朝は実質滅亡した。

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「パガンの戦い」の関連用語

パガンの戦いのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



パガンの戦いのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのパガンの戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS