襄陽・樊城の戦いとは? わかりやすく解説

襄陽・樊城の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/30 12:50 UTC 版)

襄陽・樊城の戦い(じょうよう・はんじょうのたたかい)は、1268年から1273年にわたってモンゴル帝国南宋との間で行われた戦闘。襄陽樊城は南宋にとって国土防衛の最重要拠点であり、40年近くにわたって行われたモンゴル・南宋戦争においてよくモンゴル軍の攻撃対象となったが、ここでは第3次モンゴル・南宋戦争において行われた戦いについて述べる。


  1. ^ 元史』巻6 世祖本紀 至元5年9月丁巳条「阿朮統兵圍樊城」
  2. ^ 宋史』巻46 度宗本紀 咸淳9年2月庚戌条「呂文煥以襄陽府帰大元」


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