史実における張順
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/30 06:19 UTC 版)
宮崎市定らが指摘する通り、上記の張順の最期は、実在の南宋の武将・張順の最期の話を写したものだとされている。南宋の張順は、1267年~1273年に行われた襄陽・樊城の戦いの時、元軍に包囲された襄陽城に兵糧を運び込もうとした所、封鎖された河を突破する時に『水滸伝』同様の討ち死にを遂げ、襄陽の守将呂文煥から神として祀られた。水滸伝の張順も作中の漢詩から明らかにこの南宋の張順を踏まえたキャラクターになっている。(宮崎『水滸伝 虚構の中の史実』中公文庫、宋史張順伝など)
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