史実に基づく逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:26 UTC 版)
「雪風 (駆逐艦)」の記事における「史実に基づく逸話」の解説
戦争中から幸運艦として有名だった 軍事記者として活動した伊藤正徳によれば雪風は太平洋戦争中から強運の艦として知られていたが、軍艦(駆逐艦)であるから武運艦、強運艦と呼ばれるのが普通であったとされ、冬月の土橋元少尉の証言の他、雪風に救助された大和の元高角砲員の証言にも歴戦の強運艦として雪風を伝える記述がある。コロンバンガラ島沖海戦で神通が沈没し、続いてアメリカ艦隊の砲撃が反転した雪風に集中すると、砲弾が雪風の艦尾すれすれに幾つも落下したが、海上に投げ出された神通の生存者たちは「雪風には幸運の女神が鎮座ましましていると、艦隊の誰もが信じていたから」と安心して見ていたと言う。 雪風は強運艦であると同時に不沈艦、不死身の艦として味方の兵の間で有名であり、ラバウルやソロモン泊地では、同じく不沈艦として有名だった時雨と共に「呉の雪風、佐世保の時雨」と称えられたとある。第27駆逐隊司令就任時に時雨で指揮を執った原為一元海軍大佐は「雪風と時雨は戦闘において武勲を争い、「よろずにおいて人に勝る心」をモットーとして互いに励み合った」と回想した。 他に雪風は超機敏艦、神宿る艦と称されたとする著書がある。これらは敵の襲撃を予見して常に艦を出撃できる体勢で待機させた飛田艦長や菅間艦長の逸話、雪風を退艦する際部下に「雪風は沈まない。雪風は武運の神が宿る艦だ」とする餞の言葉を送った菅間艦長の逸話に由来する。
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