第27駆逐隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 04:56 UTC 版)
「春雨 (白露型駆逐艦)」の記事における「第27駆逐隊」の解説
春雨が最前線への復帰を目指して準備中の12月24日、戊第二号輸送部隊(重巡《妙高、羽黒、利根》、第27駆逐隊《時雨、白露》)としてトラック-カビエン方面に向かう筈だった第27駆逐隊司令艦時雨が漁船と衝突、損傷により戊二号輸送部隊から外され日本本土に戻っていた。春雨は修理を終えた時雨に合同すると、12月30日-31日にかけて戦艦山城の横須賀回航を護衛した。 1944年(昭和19年)1月3日、27駆司令艦時雨及び春雨は給糧艦伊良湖を護衛して横須賀を出港、トラック泊地に向かった。トラック着後、時雨と共にタンカー2隻(復路3隻)の東南アジア〜トラック往復を護衛した。2月10日、アメリカ軍機動部隊のトラック泊地襲来を察知した連合艦隊司令長官古賀峯一大将は、旗艦武蔵、戦艦大和、長門を基幹とする連合艦隊主力部隊をパラオに退避させた。2月14日、駆逐艦時雨、春雨、追風(途中合流)は油槽船富士山丸、神国丸、天城山丸と共にトラックに到着した。トラックに連合艦隊の姿は既になく、第三図南丸のような徴用船のほか、工作艦明石や雑用運送艦宗谷といった補助艦艇が多数取り残されていた。 詳細は「トラック島空襲」を参照 2月17日、トラックはレイモンド・スプルーアンス中将及びマーク・ミッチャー少将率いる第50任務部隊(空母9隻、戦艦7隻、巡洋艦10隻、駆逐艦28隻)に襲撃された。軽巡洋艦那珂を始め多数の艦艇が沈没、時雨、春雨が護衛してきた富士山丸、神国丸、天城山丸も撃沈された。時雨、春雨は空襲警報の発令と共に北水道を通過してトラック泊地からの脱出を図る。だが米軍機の空襲により、直撃弾2発を受けた時雨は中破、春雨も至近弾により戦死者2名を出した。戦場を離脱した春雨は時雨と分離すると、トラックからの脱出に成功した工作艦「明石」の護衛任務に従事する。メレヨン島に立ち寄ったのち、21日に工作艦明石、標的艦波勝、駆逐艦秋風、藤波と合流した、明石船団は24日パラオ諸島へ到着した。25日、第27駆逐隊司令艦は時雨から春雨に変更された。時雨は内地へ帰投。3月下旬、春雨は第二水雷戦隊旗艦能代を護衛してダバオへ向かった。
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