輸送・護衛任務
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「時雨 (白露型駆逐艦)」の記事における「輸送・護衛任務」の解説
1942年(昭和17年)12月10日、横須賀からトラック泊地へ輸送任務を行う空母龍鳳より第四水雷戦隊に対し、今後の護衛駆逐艦について問い合わせがあった。四水戦司令部は2隻(朝潮型《朝雲》、白露型《時雨》)を指定。12月12日、龍鳳は陽炎型10番艦時津風(第16駆逐隊)と共にトラックへ向けて航行中、アメリカの潜水艦の雷撃により損傷して横須賀に引き返した。13日、四水戦2隻(朝雲、時雨)はトラック泊地を出撃、15日サイパン諸島北西で空母冲鷹、駆逐艦卯月と合流すると、18日にトラックへ帰投する。21日、冲鷹を護衛してトラックを発ち26日午後1時、横須賀に到着した。航海中の22日、海軍大臣より白露型駆逐艦及び初春型駆逐艦の毘式四十粍機銃を九六式二十五粍高角機銃に換装し、代償重量として予備魚雷2本を下すようにとの通達がなされた。 1943年(昭和18年)1月2日、3隻(空母《冲鷹》、駆逐艦《朝雲、時雨》)は横須賀を出港し8日にトラック着、その後は各地への輸送任務に従事した。1月15日、「時雨」は輸送船3隻(帝洋丸、妙法丸、第一眞盛丸)を護衛してトラック泊地を出撃。1月19日、米潜水艦ソードフィッシュの雷撃で妙法丸が沈没した。救援のため駆逐艦秋月と敷設艦初鷹がショートランド泊地より現場に急行するが、秋月がアメリカの潜水艦ノーチラスから雷撃されて大破、長期離脱を余儀なくされた。帝洋丸、第一眞洋丸は21日夜、ブーゲンビル島に到着した。 1月下旬、ガダルカナル島からの撤退作戦ケ号作戦に関し、警戒隊:重巡洋艦4隻(愛宕、高雄、羽黒、妙高)、戦艦2隻(金剛、榛名)、軽巡洋艦3隻(長良、神通、阿賀野)、空母2隻(隼鷹、瑞鳳)、駆逐艦6隻(朝雲、五月雨、時雨、陽炎、大波、敷波)として参加する。ケ号作戦実施部隊に編入された朝雲・五月雨を除き、アメリカ軍と交戦することなく2月9日になってトラックへ帰投。2月15日、第三戦隊(金剛、榛名)と共にトラックを出発、20日に佐世保へ帰投すると船体整備を行う。3月8日、山雲初代駆逐艦長・天津風初代駆逐艦長を務めた原為一大佐が第27駆逐隊司令として「時雨」に着任する。修理後、時雨は3月13日に佐世保を出発し、21日トラック着。哨戒や輸送任務に従事した後、4月16日トラック発、21-25日横須賀滞在、大鷹型空母2隻(雲鷹、冲鷹)を護衛して30日にトラックへ戻る。5月6日、長良より一時的に第四水雷戦隊旗艦任務を引き継ぐ。8-9日、時雨は内地へ向かう戦艦大和、第五戦隊、空母2隻(雲鷹、冲鷹)の前路対潜哨戒を行い、トラック泊地へ戻った。 5月17日、第27駆逐隊(時雨、有明)、第61駆逐隊(初月、凉月)、第24駆逐隊(海風)は、連合艦隊旗艦/戦艦武蔵・第三戦隊(金剛、榛名)・第八戦隊(利根、筑摩)・第二航空戦隊(飛鷹)を護衛して17日にトラック発、22日に横須賀到着。この時、武蔵には古賀峯一連合艦隊司令長官が座乗しており、さらに海軍甲事件(4月19日)で戦死した山本五十六元帥の遺骨が安置されていた。横須賀到着後、一旦木更津に移動したのち、第一航空戦隊(翔鶴、瑞鶴)、巡洋艦(最上、大淀)等と共に横須賀から西日本へと向かう。6月2日、鹿児島にて第一航空戦隊基地物件を揚陸すると佐世保に向かい、同地で艦橋前部に機銃の増備を行うことになった(前年12月の命令に依る)。だが全工事を終わらせることが出来ず、部品のみを搭載して残工事は横須賀海軍工廠もしくはトラック泊地の工作艦明石で行うよう通達がなされた。佐世保から横須賀への移動中、「時雨」は潮岬沖で米潜水艦らしきものに爆雷34個を投射、概ね撃沈したものと報告した。横須賀到着後、「時雨」は機関部の蒸気漏洩部の検査と修理を行う必要があり、第二航空戦隊(飛鷹)の護衛艦から外れた。6月10日14時、3隻(空母《飛鷹》、駆逐艦《夕暮、有明》)は横須賀を出港したが、同日18時53分(出港から約5時間後)に米潜水艦の雷撃で「飛鷹」は大破、軽巡五十鈴に曳航され横須賀へ戻った。 6月16日、修理を終えた時雨は第三戦隊(金剛、榛名)、第七戦隊(熊野、鈴谷)、第二航空戦隊(龍鳳)、駆逐艦部隊(第16駆逐隊《雪風》、第17駆逐隊《浜風、谷風》、第24駆逐隊《涼風》、夕雲型《清波》、秋月型《新月》)等と共に横須賀を出港、21日トラック泊地に到着した。トラック到着と同時に陽炎型2隻(雪風、浜風)が一時的に第四水雷戦隊の指揮下に入り、本艦と共にナウル島輸送任務を担当する。24日、第三次輸送隊(時雨、駆潜艇/ch28号、秋葉山丸)はトラックを出港。航海中の27日、トラックへ帰還中の3隻(長良、雪風、浜風)とすれ違う。29日ナウル島着。輸送任務を終えてトラック泊地へ向かった。帰途、B-24の爆撃を受けたが被害はなく、7月3日に帰投した。 7月1日、第2駆逐隊は解隊。第四水雷戦隊(旗艦長良)は第27駆逐隊が1番隊、五月雨が四水戦2番隊という区分となる。その後、2隻(長良、時雨)は第二航空戦隊飛行隊要員(隼鷹、龍鳳)のマーシャル諸島撤収ならびにラバウル輸送任務に従事した。 11日、軽巡長良と共にマーシャル諸島ルオットから第二航空戦隊(隼鷹、龍鳳)の飛行隊要員を撤収させた。トラック泊地に向かう途中の13日、爆雷12個を投下した。長良と共にニューギニア島カビエンに向かったが、長良が触雷したため17日に単艦でブカに輸送した。ラバウルで長良、軽巡夕張、有明と合流し、19日にトラックに帰投。同日、第27駆逐隊は第二水雷戦隊に編入した
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