対潜哨戒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 04:41 UTC 版)
4月5日0700、生名は門司を出港し、7日0700に迎日湾に到着。同地で海防艦干珠、第21号海防艦と合流。第二十一海防隊司令部を干珠に移した。1630、迎日湾を出港し対潜哨戒を行う。9日0700、的山大島に到着。1800、海防艦干珠、新南と共に出港し対潜哨戒を行う。10日2200、北緯33度38分 東経129度13分 / 北緯33.633度 東経129.217度 / 33.633; 129.217の生月島北端316度、16浬地点付近で米潜クレヴァル(USS Crevalle, SS-291)の雷撃を受ける。魚雷1本が艦首に命中し、錨鎖庫前方が大破、錨鎖が使用不能となり第一区に浸水、1番砲が旋回不能となる損害を受ける。11日1630、佐世保に到着し、12日から28日にかけて佐世保海軍工廠で修理を受ける。29日0900、生名は佐世保を出港し、1330に長崎に到着。30日から6月15日まで三菱重工業長崎造船所で修理を受ける。16日、長崎を出港し対潜哨戒を行う。7月10日、第二十一海防隊は連合艦隊第七艦隊に編入される。 8月1日、対馬西方沖で空襲を受け、機銃掃射により乗員1名が戦死した。 8月15日の終戦時は対潜哨戒中で、同日中に鎮海に到着。17日に鎮海を出港し、18日に佐世保に到着した後武装解除された。11月30日、海軍省の廃止に伴い除籍された。
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