第二水雷戦隊とは? わかりやすく解説

第二水雷戦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/03 23:25 UTC 版)

第二水雷戦隊(だいにすいらいせんたい)は、日本海軍の部隊の一つ。略称は二水戦(にすいせん)[1]。略字は2Sd[2]




「第二水雷戦隊」の続きの解説一覧

第二水雷戦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 07:55 UTC 版)

冬月 (駆逐艦)」の記事における「第二水雷戦隊」の解説

冬月修理中の11月15日日本海軍第一機動艦隊および第三艦隊解隊する。第一海上護衛隊空母海鷹神鷹以外の航空母艦は、第一航空戦隊連合艦隊附属)にまとめられた。機動部隊護衛になっていた第十戦隊解隊された。この措置により、第41駆逐隊第二艦隊麾下の第二水雷戦隊に編入された。同日付で第61駆逐隊解隊され、第41駆逐隊秋月型2隻(涼月若月)が編入される。ただし、若月11月11日レイテ島オルモック湾島風などと共に沈没しており(第三次多号作戦)、第41駆逐隊への編入書類上の事である。第二水雷戦隊は軽巡洋艦矢矧内地待機)、第2駆逐隊、第17駆逐隊、第41駆逐隊となった冬月修理11月18日頃に終わった11月20日第一水雷戦隊解隊二水統合に伴い第一水雷戦隊司令官木村昌福少将は第二水雷戦隊司令官任命される11月23日、第41駆逐隊冬月涼月)はマニラ方面への『緊急輸送作戦』に従事する空母隼鷹第一航空戦隊)を護衛して呉を出撃した。 隼鷹隊は11月30日マニラ到着して軍需品陸揚げしたあと、12月3日馬公到着した。ここで、日本に戻る途中金剛型戦艦榛名松型駆逐艦合流する12月6日榛名艦長重永主計大佐指揮下で馬公出港する佐世保入港直前12月9日未明部隊野母崎沖でアメリカ潜水艦ウルフパック発見された。レッドフィッシュ魚雷命中した隼鷹は、中破したが佐世保帰投できた。続いてアメリカ潜水艦シーデビルプライス雷撃損傷した。この輸送作戦の際、涼月ともども荒天見舞われた際に船体シワ発生した当時連合艦隊第一航空戦隊航空母艦から発進する特別攻撃隊について準備すすめていた。最初の構想時点では龍鳳母艦想定していたが、雲龍型航空母艦変更される第一航空戦隊では神武特別攻撃隊呼称しており、一航戦司令官古村啓蔵少将雲龍型2隻(天城雲龍)と秋月型駆逐艦4隻(当時就役艦〈冬月涼月〉。他は未就役)による機動部隊出撃連合艦隊意見具申した。しかし一航戦意見具申段階で、連合艦隊はすでに神武特別攻撃隊母艦運用断念していたとみられる冬月修理呉海軍工廠行われ12月27日までに終了その後瀬戸内海訓練行った艦長酔ったまま操艦し、座礁する一幕もあったという。この頃艦橋左右に機銃台を設置し25mm3連装機銃2基を増設全体で7基となった電探22号電探が1基、13号電探が2基となった1945年昭和20年1月3日、第二水雷戦隊司令官木村昌福少将から古村啓蔵少将交代した1月10日、第41駆逐隊から霜月若月除籍され、同隊は冬月涼月の2隻になった3月1日付で作間大佐冬月駆逐艦長)は第43駆逐隊司令転出山名寛雄中佐海兵55期当時駆逐艦長)が冬月二代目駆逐艦長任命された。また第41駆逐隊司令として、夕雲型駆逐艦風雲初代艦長等歴任した吉田正大佐海兵50期)が着任する吉田司令は冬月将旗掲げた3月19日呉軍港空襲対空戦闘行った3月23日から27日まで呉海軍工廠第四船渠入渠する。出渠後は(第一航空戦隊)を中心とする海上特攻隊(指揮官伊藤整一中将海兵39期)とともに三田尻沖に移動した事前研究会で、大和護る能力を持つ艦は長十cm高射砲装備する秋月型2隻(冬月涼月)しかなく、輪形陣防空大きな期待をかけることは出来ないことが確認されたが、輪形陣半径1.5〜2kmとする以上の妙案はでなかった。対空戦闘備え砲塔外周ロープでかこむなどの準備を行う。29日大和冬月紫電改第三四三海軍航空隊所属)を敵機間違えて誤射した。

※この「第二水雷戦隊」の解説は、「冬月 (駆逐艦)」の解説の一部です。
「第二水雷戦隊」を含む「冬月 (駆逐艦)」の記事については、「冬月 (駆逐艦)」の概要を参照ください。


第二水雷戦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 17:05 UTC 版)

涼波 (駆逐艦)」の記事における「第二水雷戦隊」の解説

9月下旬連合艦隊は電令作第727をもって戦艦山城航空戦艦伊勢および第十一水戦隊により、「丁三号輸送部隊」を編成した。これは、日本陸軍の甲支隊一部カロリン諸島ポナペ島輸送する任務である。甲支隊輸送は二回にわけて行われることになり、丁三号輸送部隊第二次輸送であった第二次進出部隊は、支隊本部一部陸軍兵約2000名および同行海軍第一通信であった10月15日、丁三号輸送部隊山城伊勢龍田第32駆逐隊早波、涼波、藤波〉)は佐伯および豊後水道出撃する10月20日トラック諸島到着した戦艦搭載物件を、各艦と輸送船団に移載する。第十一水戦隊龍田旗艦〕、早波、涼波、藤波)は三回次にわたり、ポナペ輸送実施した任務終了後10月28日、丁三号輸送部隊任務解かれた。十一水戦空母隼鷹雲鷹と共に内地戻っていった。 一方第32駆逐隊は同28日付で第二水雷戦隊に復帰する遊撃部隊警戒所属となった。第二水雷戦隊司令官第二艦隊司令長官栗田健男中将は、それぞれ第32駆逐隊視察した11月3日二水戦の5隻(能代早波、涼波、藤波玉波)は、栗田中将指揮下の重巡洋艦部隊と共にトラック泊地出撃する南東方面部隊遊撃部隊として、北部ソロモン諸島周辺敵艦撃滅を狙うことになったトラック泊地出撃ニューブリテン島ラバウルに向け南下開始する途中島風天津風(第16駆逐隊司令)が護衛していたタンカー2隻のうち、「日章丸」(昭和タンカー10,526トン)がニューアイルランド島カビエン北方約180浬地点空襲を受け、損傷した重巡鳥海と涼波は日章丸救援命令をうけ、遊撃部隊から分離する。第16駆逐隊司令島居威美大佐の指揮下に入った涼波は、日章丸救援行った。このとき、ブーゲンビル島沖海戦損傷した第五戦隊妙高羽黒)がラバウル出発してトラック泊地むかっており、羽黒日章丸曳航した。

※この「第二水雷戦隊」の解説は、「涼波 (駆逐艦)」の解説の一部です。
「第二水雷戦隊」を含む「涼波 (駆逐艦)」の記事については、「涼波 (駆逐艦)」の概要を参照ください。


第二水雷戦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/25 09:24 UTC 版)

水雷戦隊」の記事における「第二水雷戦隊」の解説

略称は二水戦。前進部隊であり、強力な装備長大航続力要求され、常に最新駆逐艦投入された。艦隊決戦における夜戦では、二水戦と第五戦隊妙高那智羽黒)により第二夜戦隊を編成した太平洋戦争開戦時引き続き第二艦隊所属し南方作戦にともなう比島作戦蘭印作戦参加したミッドウェー作戦では輸送船団護衛部となった1942年昭和17年7月以降は、二水戦にも白露型駆逐艦配備された。1943年昭和18年7月中旬コロンバンガラ島沖海戦旗艦神通沈没し二水司令部全滅する日本海軍は、二水戦と第四水雷戦隊統合して二水戦を再建した第四水雷戦隊司令官高間少将二水司令官補職旗艦長良)。1944年昭和19年11月中旬多号作戦旗艦島風沈没して二水司令部全滅し第一水雷戦隊司令部二水戦に転用した(第一水雷戦隊司令官木村昌福少将二水司令官補職)。また第十戦隊解隊し、同部隊所属陽炎型駆逐艦秋月型駆逐艦編入した。1945年昭和20年4月7日坊ノ岬沖海戦所属艦の大半喪失し4月20日付で第二艦隊と共に解隊された。所属艦の変遷歴代司令官など、詳細当該記事参照のこと。 詳細は「第二水雷戦隊」を参照

※この「第二水雷戦隊」の解説は、「水雷戦隊」の解説の一部です。
「第二水雷戦隊」を含む「水雷戦隊」の記事については、「水雷戦隊」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第二水雷戦隊」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第二水雷戦隊」の関連用語

第二水雷戦隊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第二水雷戦隊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第二水雷戦隊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの冬月 (駆逐艦) (改訂履歴)、涼波 (駆逐艦) (改訂履歴)、水雷戦隊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS