花月_(駆逐艦)とは? わかりやすく解説

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花月 (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/28 04:17 UTC 版)

花月
基本情報
建造所 舞鶴海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆逐艦
級名 秋月型
艦歴
計画 1941年度(マル急計画
起工 1944年2月10日[1]
進水 1944年10月10日[2]
竣工 1944年12月26日[3]
除籍 1945年10月5日
その後 1947年8月19日、米国へ引き渡し
1948年2月3日、標的艦として処分
要目(計画)
基準排水量 2,701 トン
公試排水量 3,470 トン
全長 134.2 m
最大幅 11.6 m
吃水 4.15 m
主缶 ロ号艦本式缶×3基
主機 艦本式タービン×2基
出力 52,000馬力
推進器 スクリュープロペラ×2軸
速力 33.0ノット (61.1 km/h)
燃料 重油:1,080 t
航続距離 8,000海里 (15,000 km)/18ノット
乗員 263名/400名[4]
兵装
レーダー
ソナー
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花月(はなづき)は、日本海軍駆逐艦[9]秋月型駆逐艦の13番艦[注 4]。 秋月型の第2グループとして、冬月型に分類する文献もある[10][11]。花とはの意味で花月は陰暦2月の異称である[12]

概要

日本海軍が太平洋戦争末期に建造および運用した秋月型駆逐艦[13][14]舞鶴海軍工廠1944年(昭和19年)2月10日より建造がはじまり、同年12月26日に竣工した[1]。竣工後は訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属した[13]

1945年(昭和20年)3月15日、第三十一戦隊(対潜水艦機動部隊)の第二艦隊に編入にともない花月も第三十一戦隊に編入され[15]、まもなく同戦隊の旗艦となった[13]。 3月中旬の呉軍港空襲では[16]、対空戦闘を実施する[13]。4月6日~7日の第二艦隊(司令長官伊藤整一中将、旗艦「大和」)の沖縄水上特攻作戦では[17]豊後水道まで同行して対潜哨戒を実施している(坊ノ岬沖海戦[13]

4月20日、第二艦隊の解隊にともない第三十一戦隊は連合艦隊附属となった[18]。5月20日、第三十一戦隊は新編の海上挺進部隊部隊に所属した[19]。 終戦後、「花月」はアメリカ海軍に引き渡された[13]

艦歴

「花月」の仮称艦名は、「第366号艦」[20][21]1944年(昭和19年)2月10日、舞鶴海軍工廠は第366号艦を起工した[22][23]。当初は三菱長崎造船所で建造される予定であったが、線表改訂により舞鶴での建造に変更された[24]。起工から竣工までは320日(約10ヵ月)しかかからなかった[24][25]。初期の秋月型にくらべ、構造の簡易化がはかられると共に、機銃を大幅に増強していた[25]

8月25日、第366号艦は「花月(ハナヅキ)」と命名され[9]、同日附で秋月型駆逐艦に類別された[14]10月10日、「花月」は進水する[1][26]。10月29日、舞鶴海軍工廠の艤装員事務所は事務を開始した[27]

12月1日、日本海軍は東日出夫中佐(当時、三重海軍航空隊教官[28]。駆逐艦「叢雲」沈没時艦長[29]、駆逐艦「親潮」沈没時艦長[30])を艤装員長に任命した[31]12月26日、「花月」は竣工し[32][33]、同日附で艤装員事務所は撤去された[34]。東中佐(艤装員長)が「花月」の初代駆逐艦長となった[35]

第十一水雷戦隊

就役後の「花月」は、訓練部隊の第十一水雷戦隊に編入された[33]。残工事を終えて1945年(昭和20年)1月20日に舞鶴を出港して瀬戸内海に回航される[24][36]。この間、旗艦用設備の設置訓令が出され、旗艦設備、電探、単装機銃の設置のほか、水雷用火薬庫を機銃用弾薬庫に転換して、その代償として魚雷2本が陸揚げされた[24]。瀬戸内海で訓練に従事するも、髄膜炎患者3名が出て防疫措置がとられたこともあった[37]

第三十一戦隊

1945年(昭和20年)3月15日、日本海軍は対潜機動部隊の第三十一戦隊(司令官鶴岡信道少将)[31][38] を、第二艦隊(司令長官伊藤整一海軍中将、旗艦「大和」)に編入する[15]。当時の三十一戦隊旗艦は駆逐艦「」であったが(2月28日より)[15]、3日後の3月18日に「竹」に代わって第三十一戦隊旗艦となって鶴岡少将の将旗を翻した[38]

同日、松型駆逐艦各艦()とともに広島湾に移動して戦艦「大和」の直衛を務め[38]、3月19日の呉軍港空襲では第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)の艦載機と交戦する[39]。呉在泊艦艇では、「日向」「大淀」「天城」「龍鳳」「海鷹」「利根」などが損傷した[16]。 「花月」は3月21日から呉海軍工廠で修理を行い[38]、単装機銃10基を増備した[40]

3月26日、連合艦隊は「天号作戦発動」を下令し、第一遊撃部隊の佐世保進出待機を命じた(電令作第583号)[41]。同日から3月27日にかけて「花月」は重油250 tと弾薬、酒保物品の搭載を行って[42]、「大和」、第二水雷戦隊〔軽巡洋艦「矢矧」、第17駆逐隊(磯風雪風浜風)、第21駆逐隊(朝霜初霜)、第41駆逐隊(冬月涼月)〕[43] の諸艦ともに柱島泊地三田尻と移動した[42]

4月5日、伊藤中将に対して第三十一戦隊から駆逐艦4隻を抽出させて前路掃討隊を編成させるよう命令が出される[44]。これに伴い、「榧」「槇」とともに徳山に回航され、「大和」などへ燃料を移した後に、あらためて燃料補給をおこなう[45]。補給後15時に出撃し、「大和」以下海上特攻隊に合流する[46]。約1時間後の16時11分、「大和」から分離命令が出されて海上特攻隊と別れ、18時に柳井に帰投した[47]4月7日の戦闘で、海上特攻部隊は6隻(大和、矢矧、磯風、霞、朝霜、浜風)を喪失した[17]。 4月8日、「花月」は柳井を出港して第十一水雷戦隊に合流し、訓練や懇談会を行った[48]。4月19日、発電機修理のため呉に回航されて4月30日まで修理を行う[49]。 4月20日、大本営海軍部は第二艦隊と第二水雷戦隊を解隊、第三十一戦隊と第十一水雷戦隊を連合艦隊附属とした[50]。また解隊された第二水雷戦隊より、残存艦艇〔第7駆逐隊()、第17駆逐隊(雪風、初霜)、第41駆逐隊(冬月、涼月)〕を第三十一戦隊に編入した[50]。なお、修理の間4月21日から26日の間は、旗艦の任を「槇」に移した[51]

5月20日、来るべき本土決戦に際し、小沢治三郎中将(海軍総司令長官、連合艦隊司令長官兼務)は第三十一戦隊、駆逐艦「夏月」(5月25日より第41駆逐隊に編入)、軽巡洋艦「北上」(人間魚雷回天搭載母艦)[52]、駆逐艦「波風」で海上挺進部隊(略号、KTB)を編成した[19]。海上挺進部隊司令官は鶴岡信道少将(第三十一戦隊司令官)[19]。内海西部に配置された海上挺進部隊の任務は、邀撃奇襲作戦と作戦輸送であった(GB電令作第41号)[19]。ただし、第17駆逐隊(第三十一戦隊所属)は海軍砲術学校の練習艦任務のため舞鶴鎮守府部隊に編入されており、海上挺進部隊には加えられていない[19]。花月は引き続き第三十一戦隊旗艦の任を務め、アメリカ軍の本土上陸に備えていた。7月ころより本土決戦のために戦力を温存、重油不足もあり残存艦の多くは樹木等を使って擬装の上繋留し待機していた。屋代島付近にて「桐」「」とともに擬装繋留し戦力を温存し[53]、そのまま8月15日の終戦を迎える。8月26日、横須賀鎮守府第一予備駆逐艦に定められ[54]、10月5日に除籍された[33][40]

戦後は復員輸送艦として用いられた。1947年(昭和22年)8月27日に特別輸送艦の定めを解かれた[55]横須賀で特別保管艦として係留の後[40]、同年8月29日[23]青島で戦時賠償艦としてアメリカに引き渡され、ハルナンバーDD-934」と仮命名される[56][57]。調査終了後の1948年(昭和23年)2月3日北緯35度30分 東経122度49分 / 北緯35.500度 東経122.817度 / 35.500; 122.817の地点で処分された[58]

艦長

艤装員長
  1. 東日出夫 中佐:1944年12月1日[31] - 1944年12月26日[35]
駆逐艦長

(注)1945年12月20日以降は「艦長」[59]

  1. 東日出夫 中佐/第二復員官/第二復員事務官/復員事務官:1944年12月26日[35] - 1947年9月5日[60]

脚注

注釈

  1. ^ 単装機銃8基を後に追加装備[6]
  2. ^ 後日装備とする資料もあるが[7]、「秋月」が1943年10月末までに装備していることが確認されているので「花月」は竣工時から装備済であると推定できる[8]
  3. ^ 歴群23、秋月型 1999, 『秋月型公式図 冬月型「花月」補音器室横壁構造』(昭和19年12月2日舞鶴工廠製図)」に四式水中聴音機補音器室の船体フレームの一部が掲載されているが、補足として「実際に搭載したか明らかではなく、図の通り船底部がふくらんだ船体として完成したかも確認されていない」としている。
  4. ^ 法令上の通算での序列をいう。『昭和20年2月5日付 内令第96号』により、艦艇類別等級別表上での「花月」の序列が「満月」よりも下になったため、通算で13番艦となる。竣工艦に限れば12番艦である。秋月型駆逐艦の1945年2月5日時点の序列は「涼月」「冬月」「春月」「宵月」「夏月」「満月」「花月」の順である。

出典

  1. ^ a b c 日本駆逐艦物語 1993, p. 205.
  2. ^ #S1910舞鎮日誌、p.44
  3. ^ #S1912舞鎮日誌、p.55
  4. ^ #S1906第11水戦日誌(5)、p.8
  5. ^ 日本駆逐艦物語 1993, p. 281.
  6. ^ a b 写真日本の軍艦11 1990, p. 1174.
  7. ^ 歴群23、秋月型 1999, pp. 38, 98–99.
  8. ^ 写真日本の軍艦11 1990, p. 158.
  9. ^ a b #海軍公報、1944年8月(5)、pp.44-45
  10. ^ 歴群23、秋月型 1999, 『秋月型公式図 冬月型「花月」補音器室横壁構造』(昭和19年12月2日舞鶴工廠製図).
  11. ^ 歴群23、秋月型 1999, pp. 13, 25, 143–156.
  12. ^ 片桐 2005, p. 354.
  13. ^ a b c d e f 山本ほか、秋月型 2015, p. 83.
  14. ^ a b #海軍公報、1944年8月(5)、p.25
  15. ^ a b c 戦史叢書93 1976, pp. 179–180.
  16. ^ a b 戦史叢書85 1975, pp. 357–358.
  17. ^ a b 戦史叢書85 1975, pp. 372–373.
  18. ^ 戦史叢書93 1976, pp. 283–284, 396–397.
  19. ^ a b c d e 戦史叢書93 1976, pp. 396–397.
  20. ^ 日本駆逐艦物語 1993, p. 291.
  21. ^ #S1902舞鎮日誌、p.8
  22. ^ #S1902舞鎮日誌、p.44
  23. ^ a b ハンディ判18 1997, p. 16.
  24. ^ a b c d 遠藤 1975, p. 220.
  25. ^ a b 日本駆逐艦物語 1993, pp. 227–229.
  26. ^ #S1910舞鎮日誌、p.9
  27. ^ 昭和19年11月15日(水)海軍公報 第4852号 p.31」 アジア歴史資料センター Ref.C12070497800 
  28. ^ 昭和18年10月13日(発令10月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1237号 p.4」 アジア歴史資料センター Ref.C13072093800 
  29. ^ 昭和17年11月16日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第988号 p.13」 アジア歴史資料センター Ref.C13072088200 
  30. ^ 昭和18年6月1日(発令6月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1131号 p.23」 アジア歴史資料センター Ref.C13072091300 
  31. ^ a b c 昭和19年12月6日(発令12月1日付)海軍辞令公報(甲)第1661号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072102200 、pp.1, 2
  32. ^ #S1912舞鎮日誌、pp.8-9
  33. ^ a b c ハンディ判18 1997, p. 33.
  34. ^ 昭和20年1月11日(木)海軍公報 第4900号 p.41」 アジア歴史資料センター Ref.C12070503500 
  35. ^ a b c 昭和20年1月11日(発令昭和19年12月月26日付)海軍辞令公報(甲)第1690号 p.42」 アジア歴史資料センター Ref.C13072144000 
  36. ^ #S1906第11水戦日誌(5)、p.40
  37. ^ #S1906第11水戦日誌(6)、p.19
  38. ^ a b c d #S1912第31戦隊日誌(2)、p.5
  39. ^ 戦史叢書93 1976, pp. 251–252.
  40. ^ a b c 遠藤 1975, p. 221.
  41. ^ 戦史叢書85 1975, p. 407.
  42. ^ a b #S1912第31戦隊日誌(2)、p.46
  43. ^ 戦史叢書93 1976, pp. 277–278.
  44. ^ #S1912第31戦隊日誌(2)、p.62
  45. ^ #S1912第31戦隊日誌(2)、p.78
  46. ^ #S1912第31戦隊日誌(2)、pp.78,79
  47. ^ #S1912第31戦隊日誌(2)、p.79
  48. ^ #S1912第31戦隊日誌(2)、pp.79,80
  49. ^ #S1912第31戦隊日誌(2)、pp.53-55,81,84
  50. ^ a b 戦史叢書93 1976, pp. 283–284.
  51. ^ #S1912第31戦隊日誌(2)、p.81,83
  52. ^ 写真日本の軍艦8巻、104-105頁(回天搭載北上写真解説)
  53. ^ 『艦長たちの太平洋戦争 続篇』、183頁、「榧」艦長だった森本義久少佐(当時)の回想による。
  54. ^ 昭和20年8月26日付 内令第749号。
  55. ^ 昭和22年8月27日付 復員庁第二復員局 復二第629号。
  56. ^ 日本駆逐艦物語 1993, pp. 211–213.
  57. ^ 写真日本の軍艦11 1990, p. 175.
  58. ^ 田村、149頁
  59. ^ 昭和20年12月20日付 第二復員省 内令第12号。
  60. ^ 昭和22年9月11日付 復員庁第二復員局辞令公報 第56号。

参考文献

  • 遠藤昭『高角砲と防空艦』原書房、1975年。 
  • 岡本孝太郎『舞廠造機部の昭和史』文芸社、2014年5月。ISBN 978-4-286-14246-3 
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、2003年8月。 ISBN 978-4769811510 
  • 佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 続篇』光人社、1984年、ISBN 4-7698-0231-5
  • 福井静夫 著、阿部安雄・戸高一成 編『日本駆逐艦物語』光人社〈福井静夫著作集 軍艦七十五年回想記 第5巻〉、1983年1月。 ISBN 4-7698-0611-6 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 編『戦史叢書85  本土方面海軍作戦』朝雲新聞社、1975年6月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 編『戦史叢書93 大本營海軍部・聯合艦隊<7> ―戦争最終期―』朝雲新聞社、1976年3月。 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦8 軽巡I』光人社、1990年3月。 ISBN 4-7698-0458-X 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真日本の軍艦11 駆逐艦II』光人社、1990年6月。 ISBN 4-7698-0461-X 
  • 雑誌『丸』編集部 編『駆逐艦秋月型・松型・橘型・睦月型・神風型・峯風型』光人社〈ハンディ判日本海軍艦艇写真集 18〉、1997年11月。 ISBN 4-7698-0819-4 
  • 山本平弥 ほか『秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型>』潮書房光人社、2015年3月。 ISBN 978-4-7698-1584-6 
  • 『歴史群像』編集部 編『秋月型駆逐艦』学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ 23〉、1999年10月。 ISBN 4-05-602063-9 
  • 中川寛之「第三十一戦隊と丁型駆逐艦部隊全史」『歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.43 松型駆逐艦』(学習研究社、2003年) ISBN 4-05-603251-3
  • 田村俊夫「中国に引き渡された日本の賠償艦艇全34隻の足取り」『歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.51 帝国海軍 真実の艦艇史2』(学習研究社、2005年) ISBN 4-05-604083-4
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和19年8月~9月 秘海軍公報(防衛省防衛研究所)/8月(5)』。JACAR:C12070496300 
    • 『昭和19年2月1日~昭和19年2月29日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。JACAR:C08030360000 
    • 『昭和19年10月1日~昭和19年10月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。JACAR:C08030358400 
    • 『昭和19年12月1日~昭和19年12月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。JACAR:C08030358600 
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌 (5)』。JACAR:C08030127800 
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌 (6)』。JACAR:C08030127900 
    • 『昭和19年12月22日~昭和20年4月30日 第31戦隊戦時日誌 (2)』。JACAR:C08030074900 

関連項目


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