第38任務部隊とは? わかりやすく解説

第38任務部隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 05:03 UTC 版)

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ウルシーに展開する第38任務部隊(1944年12月)

第38任務部隊 (Task Force 38) および第58任務部隊 (Task Force 58) とは、第二次世界大戦においてアメリカ海軍が主力にした空母部隊。

編制

第38任務部隊と第58任務部隊は同一部隊であるが、名称は、第3艦隊所属の場合に第38任務部隊、第5艦隊所属の場合に第58任務部隊と変更された。

歴史

1943年8月、空母サラトガ」を中心としてフレデリック・シャーマン少将の指揮下で第38任務部隊が誕生した。1943年末、2つのタスクグループ(正規空母軽空母5隻)でブーゲンビル島の攻略に従事[1]

1944年1月6日、マーク・ミッチャー中将の指揮下で初めて第58任務部隊の名称が使用された。同年初旬、3つのタスクグループ(正規・軽空母9隻)でギルバート・マーシャル攻略に従事、トラックパラオ空襲に従事[2]。1944年6月、4つのタスクグループ(正規・軽空母15隻)でマリアナ攻略に従事[3]

1944年8月26日、第38任務部隊として、ウィリアム・ハルゼー大将の指揮する第三艦隊に所属した。同年末、4つのタスクグループ(正規・軽空母16隻)でレイテ島ルソン島攻略に従事、台湾南西諸島空襲に従事[4]

日本が第38任務部隊と第58任務部隊が同一であると認識したのは1944年10月初旬のことで、11日に軍令部情報部が各艦に対して伝達した。その内容は、9月にフィリピンに来襲したのは第3艦隊所属の38TFであるとして、同TFは正規空母2隻、巡洋艦改造空母2隻を中心とする空母群の4群をもって編制されていること、空母総数は正規空母8隻、巡洋艦改造空母8-10隻がアメリカ海軍の全力であること、38TFと58TFの実体は同一部隊であり、所属艦隊に応じて部隊番号が変更されること、この部隊の背後に人員機材補充用の護衛空母が2-3隻随伴していることを知らせるものであった[5]

1945年1月26日、第58任務部隊に変更。5つのタスクグループ(正規・軽空母18隻)で硫黄島沖縄攻略に従事、日本本土空襲に従事(沖縄戦後は第38任務部隊として従事)[6]。1945年5月25日、第38任務部隊に変更。9月2日まで存続した。

脚注

  1. ^ 別冊歴史読本永久保存版『空母機動部隊』新人物往来社 103頁
  2. ^ 別冊歴史読本永久保存版『空母機動部隊』新人物往来社 103頁
  3. ^ 別冊歴史読本永久保存版『空母機動部隊』新人物往来社 103頁
  4. ^ 別冊歴史読本永久保存版『空母機動部隊』新人物往来社 103頁
  5. ^ 戦史叢書37巻 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 688頁
  6. ^ 別冊歴史読本永久保存版『空母機動部隊』新人物往来社 103頁

関連項目


第38任務部隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 06:20 UTC 版)

ジョン・S・マケイン・シニア」の記事における「第38任務部隊」の解説

1943年8月マケイン海軍中将昇進しキングの「野望」の一つとして海軍作戦部内に創設され航空部初代部長就任しキング航空部活動軌道に乗るまでマケイン前線に出す気はなかった。この頃アメリカ艦隊の再編が行われ、中部太平洋方面部隊創設された。この部隊は後に第5艦隊となり、レイモンド・スプルーアンス中将率いていた。指揮下の機動部隊第58任務部隊司令官当初チャールズ・A・パウナル少将率いていたが、パウナルはギルバート諸島の戦いなどで臆病の極み見せて更迭され後任にはマーク・ミッチャー中将就任した相前後してソロモン諸島の戦いラバウルの孤立化をほぼ完成させて一段落しソロモン方面指揮を執っていたウィリアム・ハルゼー大将真珠湾戻ってきていた。1944年5月、後に第3艦隊率いハルゼーペアを組む機動部隊司令官検討なされたが、キング一声によりマケイン司令官の座に就くこととなった。しかし、艦隊司令官経験がなかったマケイン学習のため、マリアナ・パラオ諸島の戦い参加して空母戦術習得行った同年8月予定通り第5艦隊第3艦隊に代わったが、ミッチャーはマケイン任務部隊総指揮執る技量未知数だったため、しばらくの間例外的に第38任務部隊の指揮執ることとなり、マケインは第38.1任務群を率いることとなった1944年10月、第38任務部隊は沖縄島台湾攻撃してフィリピンの戦い露払い行ったマケインの第38.1任務群は一連の攻撃終え10月22日夜にハルゼー命令により休養補給のためウルシー環礁向かいつつあった。この2日前、レイテ島アメリカ軍上陸し、これを妨害するため日本艦隊出撃した。10月24日ハルゼーマケインの第38.1任務抜きで栗田健男中将艦隊攻撃し戦艦武蔵失った栗田艦隊は西航していった。これを見たハルゼーは、当面撃破目標を北に発見した小沢治三郎中将率い機動部隊とし、戦艦巡洋艦駆逐艦構成され特別編成の第34任務部隊ウィリス・A・リー中将)および3個任務群を機動部隊撃滅急行させて、サンベルナルジノ海峡がら空きにした。その間隙を突き、再び東航していた栗田艦隊海峡突破してサマール島近海クリフトン・スプレイグ少将率い護衛空母駆逐艦護衛駆逐艦からなる第77.4.3任務群(通称タフィ3」)を攻撃レイテ湾方面敵勢力は第7艦隊トーマス・C・キンケイド中将指揮下の砲撃部隊対処できる考えていたハルゼーだったが、キンケイド泣き言加え太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将からの「第34任務部隊はどこにいるか、世界が訝っている」の電文を受けショックを受け、空母部隊のうち1個任務群と第34任務部隊のうちの戦艦軽巡洋艦駆逐艦南下させ、大急ぎ栗田艦隊攻撃を行うと同時にマケインの第38.1任務群の休養取り消して攻撃に加わらせた。もっとも、マケイン傍受した電文から独断戦場引き返していた。第38.1任務群はホーネット (USS Hornet, CV-12) 、ハンコック (USS Hancock, CV-19) 、ワスプ (USS Wasp, CV-18) の3空母からSB2C ヘルダイバーTBF アヴェンジャー繰り出し退却する栗田艦隊痛打浴びせた

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