【第3艦隊(アメリカ軍)】(だいさんかんたい(あめりかぐん))
U.S.Navy 3rd Fleet
アメリカ海軍の艦隊の一つで、ハワイ・ホノルルに司令部を置く太平洋艦隊の指揮下にある。
東経160度以東の南米西岸海域(艦隊総軍が担当)を除く東太平洋を担当海域とする。
東経160度以西の第7艦隊とともに太平洋艦隊を構成し、その指揮を受け、アメリカ本土近海では艦隊総軍の指揮を受けることもある。
司令官は中将が務め、司令部はサンディエゴ海軍基地に置かれている。
第7艦隊や第5艦隊に、空母をはじめとする艦艇をローテーションで派出しており、派出された艦艇は担当海域によって第3艦隊→第7艦隊または第5艦隊と指揮権が移る。
第3艦隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/16 08:17 UTC 版)
第3(三)艦隊
第3艦隊
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8月当時、太平洋艦隊の主力である機動部隊の指揮は、第5艦隊と呼ばれ、レイモンド・スプルーアンスが指揮をとっていたが、基本的には一作戦(戦役)ごとにハルゼーと交代することになっており、一方が作戦中にもう一方が後方で次の作戦を練る体制とし、この仕組みを推奨したのは太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツであったが、指揮官の疲労を逓減する狙いがあった。ハルゼーの指揮する第3艦隊司令部は当初、書類上だけの存在であったが、徐々にスタッフを集め、1944年春に組織として始動した。スプルーアンスからの指揮の引継ぎは8月26日になされた。ハルゼーはハワイ会談の際にフィリピン攻略を進める進言をしており、前職の南太平洋方面軍司令官時代からマッカーサーとの関係は良好であった。 本作戦の内容面で注目すべきは、ニミッツがハルゼーに下した命令に但し書きを加えていたことである。そこには、第3艦隊の攻撃の結果日本艦隊が出撃してきた場合、作戦のどの段階であろうと最優先でこれを叩くというものであり、その任務は第7艦隊の支援にすら優越するというものである。 このような計画が生まれた背景にはマリアナ沖海戦の顛末が影を落としている。このときスプルーアンスはサイパンに上陸する両用戦部隊の支援と護衛を最優先事項とし、日本艦隊の追撃を行なわなかった。そして、同海戦時には第3艦隊の上級参謀が観戦目的で乗組み、一部始終を直接目撃していた。そのため、スプルーアンスは海戦後各所より消極性について批判を受け、決定的な戦果を挙げられなかった結果に不満を抱いたハルゼーと参謀団は作戦要領を練った際に、上記のような攻撃的な方針を纏め、ニミッツはそれを許可したのであった。ただし、艦隊攻撃以外の後方拠点への空襲については、「マッカーサー軍に対する直接掩護の必要があれば、いつでもその任に当たる、という諸制限は相変わらず存在する」と10月19日にも釘を刺されている。
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