南太平洋方面軍司令官とは? わかりやすく解説

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南太平洋方面軍司令官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 13:57 UTC 版)

ウィリアム・ハルゼー・ジュニア」の記事における「南太平洋方面軍司令官」の解説

1942年10月18日、南太平洋方面軍司令官(COMSOPAC)就任ヌーメア到着した際に緊急電知らされた。「これまでわたしにあたえられたうちでもっとも厄介な任務だ」と感じたという。前任ロバート・L・ゴームレー中将消極的な指揮目立ったため、ニミッツ参謀長スプルーアンス少将に各基地視察命じており、その時ハルゼー同行申し出て許可されていた。司令部をゴームレー司令部のあった旧式修理艦「アーゴーン」からヌーメア陸上基地移した当時ニューヨークタイムズは「ファイティング提督南太平洋艦隊司令官任命されたことは、攻撃作戦への移行徴候だ」と報じている。 南太平洋方面軍司令官着任時に指揮官新聞記者集めて行った演説で、戦いに勝つためには3つのことしかない前置きし発言した言葉を後に標語として掲げている。後にハルゼー指揮したツラギ基地入口掲げられ標語は、「KILL JAPS, KILL JAPS, KILL MORE JAPS. You will help to kill the yellow bastards if you do your job well.(ジャップ殺せジャップ殺せジャップをもっと殺せ。任務首尾よく遂行するならば、黄色いやつらを殺すことができる)」である。 1942年10月26日南太平洋海戦発生ハルゼー空母ホーネット」を失いまた、海戦被害太平洋艦隊には無傷空母なくなったが、同海戦損傷した「エンタープライズ」応急修理のみで前線投入して第三次ソロモン海戦11月12日夜戦において、戦艦「比叡」撃沈する。この夜戦ハルゼー戦力は、戦艦二隻(「ワシントン」、「サウスダコタ」)、駆逐艦四隻となるが、全艦投入決定し戦艦霧島」を撃沈しガダルカナルにおける制海権獲得する1942年11月18日大将昇進11月30日ルンガ沖夜戦巡洋艦被害出たが、1943年2月1日日本軍ガダルカナルから撤退開始したガダルカナル島攻略終えたアメリカ軍次の目標は、日本海軍要衝ラバウルのあるニューブリテン島攻略であったが、ニューギニア以東南西太平洋陸軍ダグラス・マッカーサー将軍担当で、2月重爆撃機借用マッカーサー申し入れた断られニミッツに「私は奴(マッカーサー)と、またそのほか自己宣伝をするくそったれ論争するのは真っ平です」と語った。しかし、4月15日ブリズベンマッカーサー直接会談する好印象をもち、のちに「われわれはあたかも永年親友同志のように感じていた」「当時63歳であった彼は50代のような精悍であったと書き残している。またマッカーサーも「会った瞬間からわたしは彼を好きになった」「率直で、忌憚のない意見述べ精力的な人物」と述べている。

※この「南太平洋方面軍司令官」の解説は、「ウィリアム・ハルゼー・ジュニア」の解説の一部です。
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