ガダルカナル‐とう〔‐タウ〕【ガダルカナル島】
ガダルカナル島
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ガダルカナル島 | |
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所在地 | ![]() |
所在海域 | - |
座標 | 南緯9度37分 東経160度11分 / 南緯9.617度 東経160.183度座標: 南緯9度37分 東経160度11分 / 南緯9.617度 東経160.183度 |
面積 | 5,336 km² |
海岸線長 | - km |
最高標高 | 2,449 m |
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ガダルカナル島(ガダルカナルとう、英語: Guadalcanal)は、ソロモン諸島最大[注 1]の島であり、同国の首都ホニアラがある。第二次世界大戦の激戦地で、展開した日本軍部隊の多くが補給路を絶たれ、多数の餓死者を出したことから、略称のガ島をもじった餓島(がとう)とも呼ばれた。現地先住民の言葉では「イサタブ(Isatabu)」と称する。
地理
- 位置 - 東経160度、南緯9度30分にあり、南太平洋西部のメラネシア地域にあるソロモン諸島の一つである。北西にサンタイサベル島、北東にマライタ島、南東にマキラ島がある。
- 面積 - 5,336km2、東西160km、南北48km。
- 地形 - 島の中央にはソロモン諸島最高峰のポポマナセウ山(2,335m)がそびえ、海岸線にはサンゴ礁が広がる。沿岸の一部を除くほぼ全土が熱帯雨林で覆われている。
歴史
- 1568年 - スペイン人探検家アルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイラ率いる探検隊がソロモン諸島を発見し、デ・ネイラは部下一人一人に順番に島に名をつけさせた。その一人ペドロ・デ・オルテガが、出生地であるグァダルカナル(現スペインアンダルシア州セビリア県、英語:ガダルカナル)にちなんで命名した。
- 1893年 - イギリスの保護領となる。
- 1942年(昭和17年) - 日本軍が上陸し飛行場の建設を開始するがアメリカ軍がこれを占領(ヘンダーソン飛行場、日本軍名ルンガ飛行場、2011年現在ホニアラ国際空港)。以後、日本軍とアメリカ軍との間で島内及び近海での激戦が展開され、第二次世界大戦(太平洋戦争)有数の激戦地となる(ガダルカナル島の戦い)。
- 1943年(昭和18年) - 日本軍が撤退。日本軍の死者は約2万人と言われる。
- 1955年(昭和30年) - ガダルカナル島の日本兵の遺骨の一部が日本に帰国[1]。
- 1978年 - ソロモン諸島のイギリスからの独立により、首都が島内のホニアラに置かれる。
脚注
注釈
出典
- ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、67頁。ISBN 9784309225043。
関連項目
ガダルカナル島
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「ヘレナ (軽巡洋艦)」の記事における「ガダルカナル島」の解説
「ガダルカナル島の戦い」も参照 真珠湾で仮修理を行ったヘレナは、本格的修理のためメア・アイランド海軍造船所に回航された。1942年(昭和17年)に入って修理を終えると、ヘレナは南太平洋方面に飛行機とシービーを緊急輸送する任務に就き、エスピリトゥサント島からガダルカナル島へ急送した。ウォッチタワー作戦によりアメリカ海兵隊が占領したヘンダーソン飛行場に、一刻もはやく航空隊を進出させる必要があった。このため軽巡ヘレナと駆逐艦1隻は、アメリカ海兵隊機を搭載した護衛空母ロング・アイランド (USS Long Island, AVG-1) を護衛してガ島に接近した。8月20日午前9時30分、日本海軍の飛行艇はガ島南東約250浬地点で「〇九三〇 D2 敵ノ兵力 空母一 巡洋艦一 駆逐艦二 其ノ他、基地ヨリノ方位一一六度五二〇浬、針路三五〇度速力一四節」を報じた。この空母は艦橋のないタイプであった。また別の飛行艇は「一二〇五 D1 敵兵力空母一 巡洋艦四 駆逐艦九/一二一五 D一 敵機動部隊ノ位置「ツラギ」ノ一三三度二四七浬、針路一三〇度速力一八節」を報じ、この空母は艦橋をもつタイプであった。二つの空母の位置には約70浬の差があり、日本側は別個の機動部隊と判断、第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将)が護衛していた一木支隊第二梯団を反転退避させた。 同20日午後、ロング・アイランドはSBD ドーントレス急降下爆撃機 12機、F4F ワイルドキャット戦闘機 19機を射出した。海兵隊機はヘンダーソン基地に着陸し、最初の航空兵力となった。ロング・アイランドはニューヘブリディーズ諸島に帰投したので、ガ島北方から迫っていた南雲機動部隊の第一航空戦隊(翔鶴、瑞鶴、龍驤)と対決せずに済んだ。一木支隊先遣隊約900名の夜襲を8月21日未明のイル川渡河戦(テナル川の戦い)で撃退したヘンダーソン飛行場基地は、次々に増強される。そして8月24日から25日の第二次ソロモン海戦において連合軍勝利の一因になった。 つづいてヘレナは空母機動部隊の護衛に加わった。空母ワスプ (USS Wasp, CV-7) 基幹の第18任務部隊(レイ・ノイス少将)に合流した。空母ホーネット(USS Hornet, CV-8)を基幹とする第17任務部隊(英語版)と、ワスプ基幹の第18任務部隊は、エスピリトゥサント島からガ島へ向かう海兵隊を乗せた6隻の輸送船を間接護衛していた。9月15日昼、ワスプが伊19(潜水艦長木梨鷹一少佐)の魚雷攻撃をうける。酸素魚雷が3本命中したワスプは、炎上して手のつけようがなくなった。重巡サンフランシスコ、ソルトレイクシティ、軽巡ヘレナ、ジュノー等が協力して救援に従事した。ヘレナはワスプの幹部と乗組員合わせて約400名を救助した。なお、伊19が発射した魚雷は第17任務部隊をも襲い、空母ホーネットを護衛していた戦艦ノースカロライナ (USS North Carolina, BB-55) と駆逐艦オブライエン (USS O'Brien, DD-415) に命中した。後者はその損傷が元で後日沈没した。ヘレナはワスプ生存者をエスピリトゥサント島まで送り届けた後、レンネル島沖にてガダルカナル島行き輸送船団の護衛任務に戻った。その後、ヘレナは第64任務部隊に配置換えになった。またヘレナ艦長もギルバート・C・フーバー(英語版)大佐となった。
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