護衛任務
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「夕暮 (初春型駆逐艦)」の記事における「護衛任務」の解説
1943年(昭和18年)1月1日、夕暮は陸軍輸送船団を護衛してラバウルを出発する。2日、護衛中の天城山丸が被雷した。5日トラック泊地に到着した。1月7日、駆逐艦複数隻は、戦艦陸奥、空母瑞鶴、重巡鈴谷を護衛してトラック泊地を出発した。途中で横須賀に向かう陸奥隊とわかれ、内海西部に到着した。 1月30日、夕暮と磯波は陸軍第41師団主力を中国大陸沿岸の青島から東部ニューギニア・ウェワクへ輸送する丙号輸送部隊に編入された(電令作第469号)。夕暮は丙三号輸送の第四輸送隊の輸送船(壽山丸、新京丸、新玉丸)を護衛することになった。夕暮は佐世保からパラオに進出、2月14日にパラオで合同した。同日、外南洋部隊は隷下駆逐艦を丙号輸送部隊の護衛に増強した。第四輸送隊には駆逐艦皐月と文月が加えられた。22日、第四輸送隊(壽山丸、新京丸、新玉丸、護衛艦艇)はパラオを出発、26日ウェワクに到着した。夕暮は27日に丙号輸送部隊から除かれ、ウェワクで船団の上空護衛を行った空母瑞鳳の航空隊基地員を収容してトラック泊地へ向かった。 3月8日、駆逐艦2隻(夕暮、萩風)は空母冲鷹を護衛してトラックを出発した。横須賀到着後、夕暮と萩風は戦艦金剛の内海西部回航を護衛した。3月22日、夕暮以下駆逐艦4隻は、第二航空戦隊(隼鷹、飛鷹)と第八戦隊(利根、筑摩)を護衛して内地を出発した。27日、艦隊はトラックに到着した。 4月8日、アメリカ軍潜水艦(タニー)の雷撃により厚生丸(GF運糧船、8,282トン)がトラック西方30浬で航行不能となる。軽巡長良と共にトラックを出撃、厚生丸の救援に向かった。救援の駆逐艦夕月などと合流し、長良が厚生丸の曳航を始めた。だが厚生丸は9日に沈没した。 13日、涼月(第61駆逐隊)と船団護衛に出動したが、夕暮は14日夜にスコールの中で輸送船武庫丸と衝突する。帰投後に工作艦明石で修理を行った。翌日には任務に復帰した。 5月8日、夕暮など駆逐艦数隻は、戦艦大和、空母雲鷹と冲鷹、第五戦隊(妙高、羽黒)を護衛してトラック泊地を出発、日本近海で呉にむかう大和隊と、横須賀に向かう空母隊に別れた。その後、時雨と有明も戦艦武蔵(山本元帥の遺骨安置中)他を護衛して内地に帰投した。一連の経過により、第27駆逐隊(時雨、有明、夕暮)が内地に揃った。連合艦隊はアッツ島の戦いに備えたが、出撃を見合わせるうちに同島守備隊は玉砕した。 6月10日、有明と夕暮はトラック泊地に向かう第二航空戦隊の空母飛鷹を護衛して横須賀を出港した。同日1853、アメリカ軍潜水艦トリガー (USS Trigger, SS-237) の雷撃で飛鷹が大破した。飛鷹は被雷後に敵潜水艦と誤認して夕暮を高角砲と機銃で射ち、夕暮は第3砲塔附近に被弾して乗員2名が戦死、5名が負傷した。連合艦隊の命令により横須賀にいた軽巡洋艦五十鈴(第十四戦隊)が出動する。飛鷹は五十鈴に曳航され、横須賀に帰投した。飛鷹の代艦として、第五十航空戦隊に所属していた空母龍鳳が第二航空戦隊に編入された。 6月16日、第三戦隊司令官栗田健男中将の指揮下、第三戦隊(金剛、榛名)、第七戦隊(熊野、鈴谷)、空母3隻(龍鳳、大鷹、冲鷹)、軽巡五十鈴、第27駆逐隊を含む駆逐艦複数隻は横須賀を出港、21日トラック泊地に到着した。
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