第三戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/16 09:34 UTC 版)
伊賀勢は兵糧庫であった平楽寺を焼き払われたため兵糧に乏しくなる。そこで伊賀勢は柏原城へ逃走して滝野勢と合流することに決し、ひそかに比自山城を脱出した。翌日に織田勢は比自山城の総攻撃を決行し、一気に城内に流れ込んだものの、そこはすでにもぬけの殻となっていた。織田勢を率いていた丹羽長秀や筒井順慶は徹底的な伊賀勢の追撃と掃討を命じた。家族で大和国に逃れていた人々をも殺すなど追撃は残酷を極め、結果的に柏原城へ無傷で到着できたのは僅かであったという。
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