中国軍飛行場の破壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:05 UTC 版)
「ドーリットル空襲」の記事における「中国軍飛行場の破壊」の解説
日本陸軍はドーリットル空襲の再発を防ぐため、作戦に利用された浙江省以南の国民革命軍の飛行場を利用できなくすることで、爆撃機による奇襲作戦を阻止しようとした。これを受けて支那派遣軍が実施した作戦が、浙贛作戦である。作戦は1942年5月中旬から7月にかけて実施され、動員兵力約18万、3個飛行戦隊により、目的の飛行場の破壊と同地を守る顧祝同の率いる第三戦区軍34個師団を打ち破ることに成功する。同作戦は1942年9月30日に終了が発表された。連合国側は中国大陸から日本本土を空襲する作戦を立て、投入予定のB-24爆撃部隊が移動中であった。しかし浙贛作戦によって使用予定の飛行場が攻撃占領されたこともあり、この部隊はルーマニアの油田への空爆作戦であるタイダルウェーブ作戦に転用された。
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