中国軍機の飛来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 14:37 UTC 版)
「中国空軍の上海爆撃 (1937年)」の記事における「中国軍機の飛来」の解説
14日早朝、続く「空軍作戦第二号令」を受けた暫編第35中隊の許思廉率いる5機のヴォート V92「コルセア」が筧橋を発進、続いて8時40分、安徽省広徳基地の空軍第2大隊(大隊長:張廷孟中校)に出撃命令が下り、同大隊所属のノースロップ・ガンマ 19機が副大隊長孫桐崗少校に率いられ上海へと向かった。9時20分、250キロ瞬発爆弾1発をそれぞれ爆装したアメリカ製のカーチス・ホークⅢ(英語版)を主力とする第5大隊第24中隊の8機が大隊長丁紀徐に率いられ揚州飛行場を発した。 当時第二連合航空隊参謀だった源田実によると、中華民国空軍による日本軍艦の爆撃は事前に上海租界の関係各所に予告されていたが予定の時刻になると避難するどころか逆に爆撃の様子を見ようと眺めのよい場所に群衆が集まっていたため後述する被害が拡大したとする説がある。 10時30分、龔穎澄率いる第11中隊6機が黄浦江にいた日本の第三艦隊の旗艦装甲巡洋艦「出雲」上空に飛来し、うち3機が11時22分、250キロ爆弾6発を投下。しかし雲によって照準が定まらず、5発は川に落ちて巨大な水柱を起こし、残り1発は、ジャーディン・マセソン社の倉庫に当たる。出雲ともう1隻の軽巡洋艦「川内」は高射砲の一斉射撃2回で援護しながら各々艦載機(九五式水上偵察機)を飛ばした。第8戦隊では波が高く、艦載機の使用不能と判断された。また、午前10時50分に戦闘機3機、爆撃機1機が上海特別陸戦隊本部を、55分には爆撃機5機が呉淞沖の第8戦隊を攻撃した。 出雲、川内の九五式水上偵察機は午後2時45分、虹橋飛行場をそれぞれ爆撃、また閘北方面の中国軍地上部隊を攻撃し帰還、上空警戒にあたった。 同日午後4時、南から再び第5大隊第24中隊3機、ついで第25中隊の3機が飛来し、フランス租界と国際共同租界を横切って再び日本の軍艦への攻撃を開始、日本側は高射砲の射撃を続けた。雲の内外を飛び回る中国軍爆撃機10機を日本軍水上偵察機2機が迎撃したが、速度不足で射程に捉えることができず、旋回と出直しを繰り返した。
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