中国軍の攻勢再開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 04:35 UTC 版)
バーモ守備隊を救出した後の第33軍は、第56師団をもってワンチン付近を、山崎支隊をもってナンカン付近を占領して東西両中国軍の合一を妨害し、あくまでレド公路(レド-ミイトキーナ-バーモ-ナンカン-龍陵-保山-昆明道)の遮断に努めた。また、方面軍から第33軍に増加された一刈連隊、吉田部隊(第49師団歩兵第168連隊基幹)をセンウイ周辺に控置し、第56師団の後方を確保させるとともに、情勢次第でいつでも方面軍に返上できるようにした。こうした状況で昭和20年の元旦を迎えた。 元旦早々、雲南遠征軍はワンチン方面に対する攻撃を再開した。遠征軍の兵力は第56師団の守備兵力の十数倍に及び、陣地の間隙から随所に侵入を受けて混戦状態に陥ったが、師団は反撃により陣内の敵を撃退した。一方、バーモ撤退後、ナンカン方面に殺到することが見込まれた新編軍はしばらく緩慢な行動を見せていたが、1月8日頃から南進を始め、約2個師余の米式化中国軍がナンカンの山崎支隊陣地を攻撃した。四周から強圧を受けた陣地はたちまち危殆に瀕し、軍はナンカン方面は持久困難と判断した。1月18日夜、山崎支隊はナンカン正面の敵に夜襲を決行し、敵線を突破しつつナンカン南東のナンパッカに後退した。
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