新編
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「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ」の記事における「新編」の解説
『魔法少女まどか☆マギカ』の新作を作るという話は冗談まじりながらテレビシリーズの放送中からスタッフ間で行われており、2011年3月にプロットの原型となるものが虚淵から提出された。その後、プロデューサーの岩上と総監督の新房、脚本の虚淵、キャラクター原案の蒼樹の四者によるブレインストーミングを行い、虚淵がプロットおよび脚本として纏めていった。虚淵が最初に書いたプロットはテレビシリーズの結末の延長線上にある話にしかならず、虚淵が悩んだ時期もあったというが、新房が「まどかとほむらが敵対するのもあり」といった一言を口にしたことが突破口となり、構成案が固まったと虚淵は述べている。当初はテレビシリーズの第2期とする案もあったが、構成案が固まったところで12話にすることは難しいという判断が為され、劇場版として企画が動くこととなった。脚本会議はその年の夏まで続いた。 完全新作となっており、新たに登場する百江なぎさは、蒼樹のデザイン原案を元に総作画監督の谷口淳一郎がキャラクターデザインに起こした。一部のキャラクターの設定画もクリーンアップされており、特に新規の表情集は、映像化したときに思いもかけない画面にならないよう絵コンテ時よりも抑えた表情となっている。また、キュゥべえの大きさはテレビシリーズではシーンごとにまちまちであったが、新編では設定が詰められた上で描かれている。 新編の絵コンテは、スタジオジブリ出身でテレビ版では第10話などを担当した笹木信作が務めており、絵コンテの総カット数は2300カットに及び、一本の映画としてはスタジオジブリで最も絵コンテのカット数が多かった『もののけ姫』の1676カットを凌ぐカット数となっている。 アフレコは前半と後半の二度に分けて行われ、前半の収録は声優陣に後半の展開が伏せられて行われた。また、ほむらに関しては映画終盤にかけてのパートが公開直前に録り直されている。演じた斎藤によれば録り直す前はダークな印象が強かったが、リテイクによって少女らしさや人間らしさも感じられるものに変わったという。
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「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ」の記事における「新編」の解説
新編は全国129スクリーンで公開され、2013年10月26・27日の初日2日間で興収4億3600円、動員27万1279人を記録、動員ランキングで初登場第1位となる。その衝撃的な結末がネット上を中心に反響を呼び、初日からリピーターが続出したことが要因となり、2011年公開の『映画けいおん!』の初週興収3億1600万円を上回るスタートとなった。 11月7日の時点で興行収入10億453万8650円を記録、深夜アニメの映画化作品としては『映画けいおん!』『劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』に次ぐ3作目の10億円突破作品となり、公開13日目での達成は最速記録となった。さらに、11月15日の時点で動員は100万5092人を記録。深夜アニメ劇場版として史上最速となる公開21日目で動員100万人を達成した。 その後も好調な成績を維持し、12月31日までの累計動員が145万1121人、累計興収が20億287万9400円を記録し20億円の大台を突破、『映画けいおん!』の19億円を超える深夜アニメの映画化作品としては上映当時史上最高の興行収入となった。2014年1月からは46館での新規上映を含む全国59館でのロングラン上映も決定している。2013年12月に発売された日経エンタテインメント!の最終興収見込みでは23億円が見込まれているとされていたが、2015年現在では最終興行収入は20億8,000万円とされている。 また、北米での公開日より5週目時点(12月6日公開(上映館数37館)、翌年1月第1週時点(上映館数2館))での、米国内興収は375,627米ドルで、配給を行ったイレブンアーツ社としてはこれまでに配給した日本アニメのなかでは過去最大の興収となった(同時に、日本国内の12月15日時点の興収は19,169,007米ドルであったと発表されている)。アニメ市場が豊かな日本と違い海外各国では、パリでは1日限りの限定上映、台湾や米国でも映画館により1日から3日間のみとなり、台湾では抗議が殺到して急遽1日追加上映日が決まる事例も出るなど、日本国内と海外各国では視聴環境がかなり違うことを考慮する必要がある。
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新編
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連合艦隊と同様、支那方面艦隊は複数の艦隊で編成された日本海軍の大陸駐留部隊である。日露戦争の講和が成立し、中国大陸、特に長江沿岸に日本人が進出するようになると、邦人の生命と権益を守るため日本海軍は1905年(明治38年)12月20日に南清艦隊を編成した。南清艦隊は、辛亥革命勃発にあわせて戦力を強化し、1908年(明治41年)12月24日に第三艦隊へ改名した。第一次世界大戦が勃発した際に中華民国政府が中立を宣言したため、一部の河川砲艦は上海で武装解除され、巡洋艦は内地へ撤収した。 1917年(大正6年)8月14日、中華民国も中立を撤回し連合軍側陣営として第一次世界大戦に参戦する、武装解除されていた砲艦は警備行動を再開した。12月14日、防護巡洋艦千代田と砲艦4隻で第七戦隊が新編され、第三艦隊に編入された。第七戦隊は1918年(大正7年)8月14日に遣支艦隊と改名して独立艦隊となり、さらに翌1919年(大正8年)8月9日に第一遣外艦隊と改名された。第一遣外艦隊は主に上海を拠点として、華中沿海および長江を行動範囲としていた。さらに華北あるいは華南沿岸で行動するために、1927年(昭和2年)5月6日に第二遣外艦隊を新編した。 1932年(昭和7年)1月に第一次上海事変が勃発する。2月2日、日本海軍は第一遣外艦隊、第三戦隊、第一水雷戦隊、第一航空戦隊、上海特別陸戦隊をもって第三艦隊(司令長官野村吉三郎中将、旗艦「出雲」)を編制した。5月5日、上海停戦協定が成立した。上海特別陸戦隊は引き続き上海防衛のため常駐し、10月に常設部隊化された。1933年(昭和8年)4月20日附で第二遣外艦隊は解隊された。5月20日附で第一遣外艦隊は解隊され、第三艦隊(第十戦隊、第十一戦隊、第五水雷戦隊)となった。 1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件を引き金に支那事変(日中戦争)が勃発したため、海軍は駐留部隊の大増強を実施した。そのため、10月までに駐留部隊は3個戦隊・3個水雷戦隊・5個航空戦隊にまで膨張することになり、従来の第三艦隊の統率能力を大幅に上回る。そこで従来の第三艦隊から、外洋作戦をおこなえる戦力を抽出して第四艦隊(司令長官豊田副武中将)を新設し、この第三艦隊と第四艦隊を統率するため新たな艦隊を編制することになった。同年10月20日、第四艦隊の新編と共に支那方面艦隊が新編され、支那方面艦隊は第三艦隊と第四艦隊を隷下においた。第三艦隊司令長官長谷川清中将は、第三艦隊司令長官と支那方面艦隊司令長官の兼任を命じられる。ここに連合艦隊に匹敵する大艦隊が誕生した。支那方面艦隊と第三艦隊司令部は兼任であり、支那方面艦隊司令長官は長谷川清海軍中将(第三艦隊司令長官兼務)、支那方面艦隊参謀長に杉山六蔵少将(引き続き第三艦隊参謀長兼任)、以下司令部参謀に、参謀副長草鹿龍之介、松田千秋、高田利種、大野竹二、樋端久利雄など後の太平洋戦争で活躍した錚々たる人物が配属された。 1938年(昭和13年)2月1日には、増援第2陣として第五艦隊(司令長官塩沢幸一中将)が編制され、支那方面艦隊は三個艦隊を指揮することになった。上海を拠点に長江流域を担当する第三艦隊(軍隊区分においては中支部隊)、青島を拠点に華北沿岸を担当する第四艦隊(軍隊区分においては北支部隊)、廈門から広州・香港方面の攻略を伺う第五艦隊(軍隊区分においては南支部隊)と、エリア別に分担されている。この時点の日本海軍は、連合艦隊(第一艦隊、第二艦隊)、支那方面艦隊(第三艦隊、第四艦隊、第五艦隊)、練習艦隊という編成であった。 同年4月25日、支那方面艦隊司令長官は長谷川清中将から及川古志郎中将に交代した。1939年(昭和14年)2月初旬、第五艦隊(司令長官近藤信竹中将)を基幹とする海南島攻略作戦「Y作戦」が実施され、日本軍は海南島を占領した。3月30日、日本政府は新南群島(南沙諸島)の領有を宣言し、米・仏・英との対立は一層深まった。10月23日、支那方面艦隊参謀長は草鹿少将から井上成美少将に交代する。
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